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生如法師
繁中
日語
意識と意根は分離可能か
意識は想うに帰し、意根は為すに帰す
悟後の心行転換
直観による悟りこそ真の悟り
一切法の証得は意根に在り
意根証果によって初めて不退転を失わず
解悟を避ける方法
意識の信頼性の欠如
愚かなりとも阿羅漢果を証し、賢くとも三悪道を免れず
確信することは真の不疑と言えるのでしょうか?
「衆生の心中にて確認された法は必ずしも正しいのでしょうか」
排除法によって明心は可能か
如何に解悟と証悟を見分けるか
無間見道とは何ですか
煩悩を断たずして菩提は証せられるか
意識の証果なお具縛凡夫
意識による証果は末法期における修行の邪道
浄和の観行による意根の運行
我見断による三悪道不堕の原理
娑婆世界に留まることを発願するのはどのような場合に適切なのでしょうか
識と意根における智慧の消長
理法による対比と想像は実証に等しからず
境随心転は即ち意根随転なり
識を捨て根を用いるには如何にすべきか
無上妙法は以心伝すべく不可言伝
悟りを得るためには何をすべきですか
ある結論が意識による分析か末那識による思量かを判断する方法
知解は証に非ず
憶測推測は全く頼りにならない修行法である
理論的研究は修行の正道にあらず
いかにして真の修行と実証により現量の智慧を有するか
理見と事見
意識の妄想は実修に代わりえない
意識と意根の境界が一致して初めて証悟に至る
意識の推理は観行および参究に等しからず
世間法の区別
意根の十二因縁における決定的な役割
修行とは何を修めるのか
意根の強さ
意識の心所有法と意根の心所有法の関係
催眠状態下における意根の心理活動の観察
七識には勝解心所法が具わる
勝解心所法と慧心所法の関係
慧心所法の運行作用
十二因縁の視点から見る意根の心所法
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