衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2024年12月25日    水曜日     第1 回の開示 合計4303回の開示

十二因縁における意根の決定的役割

衆生に生老病死の純大苦聚があるのは、すべて無明があるためであり、この無明とは意根の無明である。意根に無明があるからこそ心行思心所が生じ、思心所があれば業を造る抉択が生じ、その後六識が現れる。十二因縁の最初の二支は意根に属し、第三支の六識も意根によって生じる。よって意根は生死に対し絶対的な主導作用を持ち、他の法に対しても推進作用を及ぼす。第三支の六識の業行でさえ意根に随順して生じ、落謝する種子も意根によって存在するため、後世の名色は意根によって生じる。意根が染汚すれば六識も染汚し、種子も染汚され、名色の苦受が増大し、特に三悪道の苦が生じる。

名色が増長すると六入が生じ、六入と六塵の触は意根が主宰する。意根が多く攀縁すれば触も多くなり生死業が増え、攀縁が少なければ触も少なく生死業も減る。触後の受・愛・取には六識の受愛取も存在するが、実際に決定的作用を及ぼし次支を引き出すのは意根の受愛取である。意根に受愛取がなければ次の支分は現れない。最後の三支である有・生・老死は完全に意根の取によって生じる。故に生死輪廻の発生において、意根は決定的な役割を果たす。

十二因縁は意根が生死の根元であることを明示し、解脱と沈淪は意根にかかっている。生死を超越するには意根の問題を解決し、意根の無明を打破せねばならない。意根は四聖諦(苦集滅道)の根元でもある。苦は意根の無明心行が六識に業を造らせることにより、集は意根が六識に業を造らせて種子を落とすことにより、滅は意根の無明心行を滅除することにより、道は意根が法を証得することによってもたらされる。

意根が生死輪廻においてこれほど決定的な作用を有するならば、意根は一切の心所法を具足し、全ての善心所法と煩悩心所法、及び不善不悪心所法を具えている。意根の心所法は五識の心所法を決定し、意識の心所法を決定する。意根の心所法が変化すれば六識の心所法も変化し、一切の法がそれに従って変わる。意根の心所法を改めなければ、六識の心所法が一時的に変わっても再び元に戻る。意根の煩悩が断たれなければ、意識が仮に煩悩を断っても再び煩悩が生じる。意根に禅定がなければ、六識に禅定があっても長続きせず、必ず再び散乱する。


——生如法師の開示
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