心所法は、その名の通り、心に属する法である。感情、態度、意見、提案、焦り、いら立ち、嫉妬、悲しみなどは、すべて心に生じる法であり、心に属する法であるため、すべて心所法と呼ばれる。身体に生じる法は、身体に属する法であり、その名の通り、身所有法と呼ばれる。色身に属する法、例えば病気になる、体重が変化する、様々な変事が起こる、何かが生じる、あるいは何かが減少するなど、身体に起こるすべての生滅変化は身所法である。色身は内身と外身に分けられ、内身とは身体そのものを指し、外身とは色・声・香・味・触・法の六塵を指す。これらを合わせて五陰身という。身体は色法であり、身体に生じる法もすべて色法であるため、色法に属するものもすべて色法である。すべて身に属する法は、同時に心に属する法でもある。この心とはいったいどの心を指すのであろうか。
一切の世間法は色法と心法、および非色非心法に分けられ、その帰属は心所有法と身所有、および非身非心所有法に分けられる。これら一切の法はすべて如来蔵に帰属し、一切の法が如来蔵に帰した後には、何も存在しない。それならば、私たちは今、いったい何を貪り執着する必要があるのであろうか。すべては空であり、すべては仮の相である。しかしながら、貪り執着する習性があまりにも根深く、あまりにも変え難いのである。その原因を究めれば、やはり法界の実相が理解できておらず、はっきりと見えていないことにある。このことを完全に理解するには三大阿僧祇劫を要し、その時こそ修行は終結するのである。
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