衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2024年12月13日    金曜日     第1 回の開示 合計4297回の開示

勝解心所と慧心所の関係

論では、勝解とは境に対する印可であり、境を境として知り、境を境として信じ、誤謬なく疑いない状態を指すと説かれている。例えば心が花や月に対面する時、勝解によってそれらを花や月と確信し、疑念を挟まず、自らの理解を信じ、容易に動かされない状態がこれに当たる。「勝」の字は境に対する理解の深度を強調し、境の真実性に接近した状態を示す。ただしこれは最終的な確信ではなく、境の真実性を証得した段階ではない。その後には慧心所法が現前し、初めて境を証得し、花や月の境を完全に知り得るのである。

勝解は「其の然るを知る」ことに相当し、慧は「其の所以然るを知る」ことに相当する。前者は解であり、後者は証である。勝解は浅い慧であり、慧の基礎を成す。慧は究極的な最終認知である。仏法の修証において、勝解心所法は解悟に相当し、慧心所法は証悟に相当する。解悟を証悟に転じるには、念心所法と定心所法の二段階を経て、解いた法を心に堅固に刻印し、念念不忘の修練を重ね、禅定を成就させ、この法に対する参究を絶え間なく続ける必要がある。最終的に心が開けて確信が生じ、大智慧が現前する時、証悟が達成されるのである。

花や月に対する勝解は世俗的事柄であり、世俗法の理念と知識を備え、六根が正常で遮障がなければ、比較的容易に達成できる。そこには若干の浅い解慧が含まれている。しかし仏法において勝解の域に達することは容易ではなく、仏法に関する知識と理念を具備し、三十七道品を修して業障の遮障を軽減する必要がある。ただし証得までにはなお相当の道程があり、一定の因縁条件が整って初めて円満に証得できるのである。

——生如法師の開示
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