衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2025年01月30日    木曜日     第1 回の開示 合計4321回の開示

我見を断つことによる三悪道不堕の原理

我見を断じて初果を証得した者は、再び三悪道に堕ちて苦報を受けることがありません。なぜそうなのでしょうか。その心が変化したためです。心が三悪道の業と相応しなくなったので、再び三悪道の業行を造らず、したがって三悪道に堕ちて苦しむこともありません。心が無我を証得すれば空じられ、心が空じられた者は再び三悪道の業行を造ることができません。三悪道の業行とは何でしょうか。五戒に違反する業行であり、十善業に背く業行です。五戒を受持して初めて人間の身を得、三悪道衆生の身を受けることはありません。十善を受持して初めて人間界・天界の身を得、三悪道衆生の身を受けることはありません。我見を断じて証果を得た者は粗重な煩悩を断除し、心行が必ず五戒十善と相応するため、三悪道の業と身を免れるのです。

ではこの我見を断じた心、五戒十善と相応する心、三悪道の業と相応しない心とは、いずれの心でしょうか。意識はもちろんこのような心ですが、最も主要な意根こそが絶対にこのような心であるべきです。しかも意根は無間断の心であり、我見を断じた後に初めて、意根は無間断にヴィパッサナーとシャマタの双運道の功徳を具えます。睡眠中・昏迷中・臨終時・中有のいかなる時も、我見を断じた功徳が身に具わり、この功徳によって受生・投胎・入胎します。そうすると意根がどのような心行を持ち、どのような業を有するかによって、相応する胎身が現れるのです。三悪道に堕ちないためには、意根が我見を断じて諸功徳を具える必要があります。意識による聞法の智慧・推理の智慧・臆測の智慧・情思意解の智慧だけでは、粗重な煩悩の現行を断除することは絶対に保証できず、三悪道の業行を造らないこと、五戒十善に違犯しないこと、命終時に三悪道に堕ちないことを保証することはできません。

——生如法師の開示
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淨和の観行から見る意根の運行

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