衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2025年01月28日    火曜日     第1開示 合計4320開示

娑婆世界に留まることを発願するのはどのような場合に適切なのでしょうか

娑婆のような世界にのみ三悪道が存在する。もし娑婆世界に留まろうと発願するならば、最低限、三悪道の業を断じ、三悪道の果報を滅し、後世に三悪道に入らないことを保証できなければならない。三悪道に入らないためには三縛結を断ずる必要があり、三縛結は意根が証果する際に断たれる。三縛結を断ずる時、粗重な煩悩の結縛が断たれる。そうでなければ後世に三悪道の苦を受けることは免れない。意識が三縛結を断じただけでは三悪道の業を免れることはできず、意識の煩悩と三縛結は意根に依存して存在する。意根が断たれなければ、たとえ意識が断じても無意味であり、意識は意根に支配されている。

欲界の五品煩悩を断じて初果向となった後、初果を証し三縛結を断ずることができる。まず自らの五品煩悩の有無、重さ、断じ得るかを観察し、それから自らが三縛結を断ずる望みがあるか判断する。その後、自身の実際の状況に基づいて発願し、後世に極めて重い苦を受けないようにする。もし拙く扱えば、娑婆世界に留まろうと発願しながら、長く三悪道で苦しむことになる。自らが救済を待つ対象であるのに、どうして他人を救えるだろうか。このような状況では、後世は甚だ苦恼するのではないか。

もし三縛結を断ずる保証ができず、意識の結縛すら断じ得る保証がないならば、三悪道は免れない。たとえ意識に三縛結がなくとも、意根に三縛結があれば三悪道の業を免れることはできない。さらに意根の結縛が深く煩悩が重ければ、意識の三縛結は時と場所を選ばず現れ、自らの意思では制御できず、後世必ず三悪道へ趣く。そのような発願は、三悪道に留まって苦しむことを願うのと同じである。ゆえに発願には細心の注意が必要で、どのような状況でどのような願いを発するか、自身の修行の証量と実際の状況に基づき、頭に血が上って何も顧みないようなことがあってはならない。智慧は素晴らしいものであり、必ず多く頭を使い、智慧を開き、それから行動すべきである。


——生如法師の開示
前へ前へ

識と意根における智慧の消長

次へ 次へ

我見断による三悪道不堕の原理

ページトップへ戻る