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日常法話

2024年12月19日    木曜日     第1開示 合計4300開示

意識の心所有法と意根の心所有法の関係

問:「識の種子が生じ出て七つの識を形成した後、心所法が伴って運行し、識心が初めて善・悪・無記の三性を持つ。」この心所法は意根に属する心所法のことでしょうか? 意根には俱生と分別の習気があり、前六識は識の種子から生じ形成される際には本来清浄であるはずで、意根の心所法の影響を受けて初めて三性を持つようになる。この理解は正しいでしょうか?

答:どの識が運行するかによって、その識に対応する心所法が伴います。意識は意根によって調節・指揮されるため、意識が運行を始めた後、その自身の心所法が現れる際には必然的に意根の心所法の影響を受け、意根によって調節されます。意根が善を行おうとすれば、善の心所法が現れた後、必然的に意識の善の心所法を生じさせ、意根の指令を完了させます。悪の心所法や無記の心所法が現れる場合も同様です。

意根が布施を行おうとする場合、必然的に六識を指揮して具体的な操作を行わせます。こうして生じた六識は意根に協力するため、布施という善行を実行するために存在するのです。したがって、意識の心所法は生じた瞬間から必然的に善であり、意根の心所法と一致します。意根が布施を行おうとする場合、必然的に六識を指揮して具体的な操作を行わせます。こうして生じた六識は意根に協力するため、布施という善行を実行するために存在するのです。したがって、意識の心所法は生じた瞬間から必然的に善であり、意根の心所法と一致します。もし意根が布施を行いたくないならば、布施という善行に関しては、意識および意識の心所法は生じず、運行することもありません。つまり、識心の心所法が作動する限り、三性が現れることになります。したがって、識心を清浄にするには、根源である意根の心所法を清浄にすれば、残りの識心もそれに従って清浄になるのです。

意根が人を殺したり放火したりしようと望めば、六識を生じてこの悪事を完成させます。なぜなら、人殺しや放火の具体的な操作は六識がなければ成し遂げられず、意根は操作できないからです。したがって、六識が生じた瞬間、心所法は必然的に悪であり、意根の心所法と一致します。ゆえに、意根が一切の善・悪・無記の心所法を具備しているからこそ、六識に一切の心所法を具備させ、身・口・意の行いを操作させることができるのです。一部の人が言うように意根が心所法の一部しか持たないわけではありません。もし意根の心所法が不完全ならば、多くのことについて意根は主導して造作することができず、意根が主導しないことを、六識はどうやって操作するのでしょうか?

意識の心所法は最初は意根と一致していますが、思考を巡らせた後、事が正しくないと感じれば、心所法を変えることもあり、逆に意根を説得し染習(習染)することもあります。意識が意根に背くこともあります。例えば、意根が悪事を行いたいと思っても、意識が躊躇して実行せず、考えを変えた後は意根の考えを変えることもできます。これが意識の染習作用です。意根を変えるのは全て意識による染習を通じてであり、ある事柄を経験するたびに意識は利害を思考します。そうすることで意根は利害を知り、以後の行動に取捨選択が生まれます。ただし、意識の染習には速さ遅さがあり、それは意識の智慧と巧みさ(善巧)によるものです。


——生如法師の開示
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