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生如法師
雑阿含経(二九七)その二
父子合集経講話 第五
親子合集経講話(四)
雑阿含経(二九七)その一
雑阿含経(二九六)の三
父子合集経講話(三)
雑阿含経(二九六)之二
父子合集経講話(二)
父子合集経講話(一)
法住法位、世間の相は常に在り
雑阿含経(二九六)の一
雑阿含経(二九五)の二
雑阿含経(二九五)の一
福報と福徳の違い
煩悩も疾病も心が幻化したものです
雑阿含経(二九四の二)
いかにして離心意識で参禅するか
雑阿含経(二九四)の一
意根が内にアーラヤ識を執着して我とするとはどういうことですか?
雑阿含経(二九三)之三
雑阿含経(二九三)その二
見道に必要な禅定
ただ子の眼正しきを貴び、子の行いを説かず
雑阿含経(二九三)その一
いかにして苦を離れるか
事修と理修の関係
衆生の業はどのように消滅するのでしょうか
慧心所法の運行作用
法に依り人に依らぬ問題
智に依って識に依らないとは何か
諸法は我が所有に属さず
智慧の貴さと稀有さを観察する
雑阿含経(二九二)その九
雑阿含経(二九二)之八
法に依らず人に依らず
雑阿含経(二九二)その七
雑阿含経(二九二)その六
雑阿含経(二九二)その五
雑阿含経(二九二)その四
外道が修める四禅八定は役に立つのでしょうか
八つの縁慮心
意識の位置づけ
雑阿含経(二九二)その三
雑阿含経(二九二)之二
雑阿含経(二九二)の一
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