衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2020年12月26日    土曜日     第2 回の開示 合計2940回の開示

父子合集経講話(七六)

如来蔵の無分別心による業種の収蔵と現行

貪・瞋・痴の行為は、その造作が大小を問わず、すべて業種として如来蔵に収蔵されます。如来蔵は選択をせず、自らが生み出した色身五蘊であっても、殺人という行為故にその業を記録しないといった分別心を持ちません。平等に記録保存します。如来蔵は自らが生んだ五陰を庇うことなく、善業のみを収め悪業を排除するような心行は存在せず、一切の業行を大小・善悪・無記の別なく平等に収蔵します。

例えば炊事は無記の行為ですが、その技術を習得すれば種子として収蔵され、来世で因縁に遇えば速やかに炊事ができるようになります。運転技術その他の技術も同様で、学んだ事柄はすべて収蔵され、善も悪も無記も区別なく保存されます。先天的に特定の才能を持つ者は前世で業種を蓄えていたためであり、如何に学んでも習得できない者は前世に業種を収蔵していない故です。これにより各人の特長は異なり、生来音楽を解し楽譜を編む子もいれば、生来舞踊を会得する者もいます。犬でさえ前世の技量を如来蔵に収蔵していた故に優れた舞を舞うのです。これを習気・習慣・業・種子と申します。前世で人を罵ることを好んだ者は、今生で教わることなく罵言を発し、制御することも叶わぬが、これこそ業種の現行であり、習慣の成せる業です。

凡そ貪行と瞋行は全て痴行に属し、是非善悪を弁えぬこともまた愚痴です。愚痴あれば愚痴の業果あり。愚痴を対治するには、仏法の道理をもって無明愚痴を破砕すべきです。

意根が色・声・香・味・触・法の六塵境界に縁すると、意識には必ず三種の心行が現れます。愛楽・瞋恚・愚痴です。六根が六塵に対すれども、常に三種の受が生じます。喜楽・瞋恚・捨受。これらの受は全て生滅虚妄のものであり、執着すべからざるものです。

——生如法師の開示
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