衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年12月26日    土曜日     第3開示 合計2941開示

如何観行識陰虚妄

仏法の中で最も基礎となる小乗の仏法は、苦集滅道の四聖諦の理を修行し、五陰 (pañca-skandha) の苦患を観察し、五陰の苦の集諦を明らかにし、五陰の苦の滅諦を知り、五陰の苦を滅する道諦を修めることです。そして一つ一つ五陰の苦・空・無常・無我の性を観行 (vipaśyanā-caryā) し、心の奥底から真に認めたなら、我見 (ātma-dṛṣṭi) を断じて初果須陀洹を証し、三悪道の業はこの時から消滅します。仏の教理に依って智慧をもって観行を行じるのであり、その中には戒律の修行も、禅定の修行も、そして福徳の因縁も離れることはありません。

観行の時、主に識陰の虚妄は観行しにくいものであり、特に意識はあまりに深細で、また非常に広範です。意識心をすべて見つけ出し、それから一つ一つ否定していき、これらの識心の作用の虚妄を認めることもまた容易ではありません。もし識心の体性について深細に了解することができ、さらに識心のすべての作用するところを見つけ出し、その生滅虚妄の性を観行すれば、我見を徹底的に断ずることができる確信が持てます。意識心の境界は非常に広範で、一般には散乱して煩悩を起こす意識は生滅で虚妄であることは分かりやすいのですが、往々にして意識が定に入り、深細で清浄 (viśuddha/pariśuddha) になり、妄想を起こさず、念頭のない時、この境界もまた生滅虚妄であることを知りません。これは意識の定境であって、不変の真心の境界ではありません。

境界である以上、境界とは法塵の塵境であり、法塵の境界は意識心が分別する対象です。それならば、定に入ったこと、定境に入ったことを知っているのは意識心であり、生滅法であって、我ではなく、真実のものではありません。なぜなら出定すれば定境はなくなり、そこで念頭がまた生じてくるからです。このように変化があり生滅する法は虚妄法であって、真実不変異の法ではありません。六祖曰:那伽常在定,无有不定时。真心は永遠に定の中にあり、出定することもなく、入定することもなく、増減変化がありません。

仏は楞厳経の中で説かれました:内守悠闲,犹是法尘分别影事。仏が説かれたのはまさにこの定に入った場合のことです。神様はすでに早くから、衆生が真偽を見分けることが難しいこと、特に末法の時期には衆生は福が薄く、邪見 (mithyā-dṛṣṭi) が盛んに燃え上がり、真偽を認め分けることができないことを予見されており、世尊は特に楞厳経の中で専ら提示して、後人を警戒させられたのです。

——生如法師の開示
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