衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年01月04日    月曜日     第1 回の開示 合計2964回の開示

陰持入経上巻

(三)原文:無明相は何等か。冥々たる中に冥を見るが如し。もし解せざれば、これより行相処に堕するに至らしむ。行相は何等か。後にまたこれ有らしむるを為すを以て行相と為す。上よりこれより発起し、これより識処に堕するに至らしむ。識相は何等か。物を識り事を識るを以て識相と為す。これより名字処に堕するに至らしむ。名字相は何等か。俱に猗(よりどころ)するを以て名字相と為す。これより六入処に堕するに至らしむ。 

釈:無明相とはどのような相貌か。内心の頑迷により見るもの全てが暗黒である。もし法を如実に解せざれば、行相の中に堕する。行相とは、後に続く従属を引き起こす相貌であり、行は命令や指令の如く、主宰・主導・抉択の義である。前には指令が行処より発起し、後には指令に従って六識処に至り、六識を生起させて行の指令に従わせる。六識の相貌とは、物と理を識別することを為す。これより後世の名色処に堕する。誰が後世の名色処に堕するか。意根と阿頼耶識であり、これより名色五陰身が生ずる。名色とは一切法の依り所であり、名色無くして一切法は存在せず、名色有って六入処を生ぜしめる。 

原文:六入相は何等か。分別の根を為すを以て六入相と為す。これより思望処に堕するに至らしむ。思望相は何等か。相会して更に生ずるを以て思望相と為す。これより痛処に堕するに至らしむ。痛相は何等か。更に覚るを以て痛相と為す。これより愛処に堕するに至らしむ。愛相は何等か。発生するを以て愛相と為す。これより受処に堕するに至らしむ。受相は何等か。受持するを以て受相と為す。これより有処に堕するに至らしむ。有相は何等か。若干の処に堕するに至らしむを以て有相と為す。これより生処に堕するに至らしむ。生相は何等か。既に五陰有るを以て生相と為す。これより老処に堕するに至らしむ。 

釈:六入とは六塵を分別する根の相貌であり、これより触に堕入する。触とは塵と接触して生ずる法であり、これより受覚に堕する。受とは覚を引き起こす相貌であり、これより愛処に堕する。愛とは利養供奉を引き起こす相貌であり、これより取処に堕する。取とは保有する相貌であり、これより三界有に堕する。有とは五蘊を三界の任意の処に堕せしめる相貌であり、これより生処に堕する。生とは既に五陰身を得た相貌であり、これより老処に堕する。 

原文:老相は何等か。転じて熟するを以て老相と為す。これより死処に堕するに至らしむ。死相は何等か。命根尽きるを以て死相と為す。これより苦処に堕するに至らしむ。苦相は何等か。身急なるを以て苦相と為す。これより不可処に堕するに至らしむ。不可相は何等か。心意急なるを以て不可相と為す。これより悒悒憂に堕するに至らしむ。悒悒相は何等か。五陰を憂うるを以て悒悒相と為す。これより愁悩処に堕するに至らしむ。悲愁相は何等か。口に声を出して言わしめ、悲悩懣に至らしむ。懣は悩み、悩み亦懣なり。 

釈:老とは色身の成熟した相貌であり、これより死処に堕する。死とは命根の終わり、諸根の無用なる相貌であり、これより苦悩の処に堕する。苦とは身体の急迫なる相貌であり、五陰を不可意処に堕せしめる。不可意とは心意の急促なる相貌であり、五陰を憂戚の処に堕せしめる。憂戚とは五陰を憂うる相貌であり、五陰を愁悩処に堕せしめる。愁悩とは口より怨嗟・嘆息・憤懣の声を発し、悲憤・懊悩・憤懣に堕する。懣は懊悩、懊悩亦懣なり。死によって引き起こされる一連の苦衰の相貌は、心境の低落、情緒の苦悶愁苦を生じ、次第に劣化衰退する。

——生如法師の開示
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