衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年12月29日    火曜日     第1 回の開示 合計2947回の開示

『長阿含経』巻一──十二因縁

(四)原文:かくの如き因縁を、実義の因と名づく。智慧方便をもって観察すれば、能く因縁の根を見る。苦は賢聖の造りしにあらず、また無縁にして有るにもあらず。故に変易の苦は智者の断ずる所なり。もし無明滅尽せば、この時すなわち行なし。もし行なきときは、すなわち識もまたなし。もし識永く滅すれば、すなわち名色もまたなし。名色既に滅すれば、すなわち諸入なし。もし諸入永く滅すれば、すなわち触もまたなし。もし触永く滅すれば、すなわち受もまたなし。 もし受永く滅すれば、すなわち愛もまたなし。もし愛永く滅すれば、すなわち取もまたなし。もし取永く滅すれば、すなわち有もまたなし。もし有永く滅すれば、すなわち生もまたなし。もし生永く滅すれば、老病苦陰なし。一切ことごとく永く尽きぬ。これ智者の説く所なり。十二縁は甚深にして、見難く識知し難し。ただ仏のみ能く善く覚りたまう。因として是あり、非ありと。

釈:以上の如き因縁法を、真実の義理を説く因縁法と称す。智慧方便をもって観察すれば、能く因縁法の根本たる無明愚痴を見る。老病死苦は聖賢の作るところにあらず、また無縁に存在するにもあらず。これ故に智者は生滅変易する老病死苦を断ずる。無明が滅尽すれば行はなく、行がなければ六識もなく、六識が永滅すれば名色もなく、名色滅すれば六入なく、六入永滅すれば触もなく、触滅すれば受もなし。 受滅すれば愛なく、愛滅すれば取なく、取滅すれば有なく、有滅すれば生なく、生滅すれば老病苦陰なし。一切は永く尽き、これ智者の説く所なり。十二因縁は深遠にして見難く識知し難く、ただ仏のみが善く覚り、一切法生起の因の有無を知りたまう。

原文:もし能く自ら観察すれば、すなわち諸入なし。深く因縁を見る者は、更に外に師を求めず。能く陰界入において欲を離れ染めなき者は、一切の施しを受くるに堪え、施主の恩に清浄に報ゆ。もし四無礙弁を得れば、決定の証を得て、衆の結縛を解き、放逸なく断除す。色受想行識は朽ちた古き車の如し。能くこの法を諦観すれば、すなわち等正覚を成ず。鳥の虚空を遊ぶが如く、東西風に随いて遊ぶ。菩薩は衆結を断つこと、風の軽き衣を靡かすが如し。毘婆尸仏は閑静に諸法を観察し、老死何の縁より有るか、何よりして滅を得るかを観ず。この観を為し終えて清浄の智慧を生じ、老死は生に由ることを知り、生滅すれば老死滅す。

釈:もし自ら十二因縁法を観察すれば、六入法の実体なきを知る。深く因縁法を観ずる者は師を外に求めず、法こそ師なり。五陰十八界六入において欲を離れ染めなき者は、一切の布施を受けるに値し、施主の恩に清浄に報いる。四無礙弁を得れば因縁法の決定証を得、一切煩悩の結縛を解き、放逸なく断除す。色受想行識の五陰は朽ちた車の如し。この法を観ずる者は等正覚を成じ、鳥の虚空を自由に飛翔するが如し。菩薩の結縛を断つことは風の薄衣を翻すが如し。毘婆尸仏は静寂の地にて十二因縁を観じ、老死の縁起と滅尽を思惟し、この観行により清浄智を生じ、生滅に随って老死滅する理を悟りたまえり。

——生如法師の開示
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