五蘊七識の造作する一切の業行を如来蔵は悉く知る
愚痴なる衆生は眼で色を見ると、直ちに愛楽の心を生じ、貪愛が現前し、心は色に牽かれ粘着し、縛られる。外界の六塵が我々を縛るとは、即ち心を縛ることであり、心は無形の貪愛の縄で縛られると、貪りの業行を造作し始める。業行は身行・口行・意行に分かれ、身体においては殺生・偸盗・邪淫の三種の身行を造作し、口業においては妄語・綺語・両舌・悪口の四種の口業行が現れ、意業は貪欲・瞋恚・愚痴となり、十種の業が現れる。この身口意の三業が造作された後、種子として如来蔵に蔵され、因縁熟する時、種子が現行して衆生は報いを受ける。
業報を受けるとは実は自らが自らを報いることであり、衆生が業を造る時、最も恐れるべきは誰の知るところか。鬼神や護法神が知っても構わず、仏菩薩が知っても構わぬが、ただ如来蔵が知ることを恐れる。しかるに如来蔵が知らぬことがあろうか。五蘊七識が業行を造作する時、全て如来蔵の協力を得ており、それがなければ根本的に造作できぬ故、五蘊の全ての行為造作を如来蔵は知り、同時に業種を収蔵する。我々はこの道理を悟り、自らの身口意行を慎み、再び悪業を造らず、善業を多く造り、努めて悪を断ち善を修めるべきである。
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