衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年01月05日    火曜日     第4 回の開示 合計2971回の開示

父子合集経講話(八三)

果報はどのように現れるのでしょうか。

阿頼耶識がなぜ業を造る主人であるかといえば、阿頼耶識がなければ五陰身も存在せず、業を造ることができないからであります。意根が業を造ろうとする時、阿頼耶識はこれを了知し、意根に呼応して様々な種子を出力し、五陰身の身口意行を完成させます。五陰の一切の活動は阿頼耶識が種子を出力することによって実現されるため、五陰はすなわち阿頼耶識であり、如来蔵性であります。五陰身が造る業は一種の助縁であり、阿頼耶識と業縁の二つが次世の五陰を生じる因縁となります。次世の眼耳鼻舌身意の六識が生起すると、業報を受けることが始まるのであります。

例えば人間に転生すべき場合、再び眼耳鼻舌身意の六識が生じ、五蘊が具足されると感受が生じ、人の果報が現れます。識が無い時には苦楽受を感じることができず、あたかも果報を得ていないかのようです。実際に人胎を受けること、十月間胎内にいること自体が果報であり、この果報は意根が受け、如来蔵は果報を受けず、閉ざされることも胎内に拘禁されることもありません。母胎内で四、五ヶ月以前には識心が無く、苦受も楽受も感じられません。厳密に言えば、その時期は真の受報とは言えず、受報でないと言いながらも実は受報であります。なぜならその色身こそが果報身であるものの、心が無く苦楽受を知らず、意根の感受を我々の意識心は知らないからであります。

もし地獄に投身する場合、地獄の身相が現れると同時に識心が直ちに出現し、地獄の苦受を感じるようになり、苦報が現れます。あるいは畜生道に転生すれば、畜生の覚知心が現れると同時に苦楽受を感じ、苦報が現れます。琰摩羅界・鬼界に転生する場合も、阿修羅界に生じる場合も、人間道に生まれる場合も、天上界に生じる場合も、識心が生起して初めて正式に受報が始まります。識心が生じると、善には善報が、悪には悪報が現れます。天人は出生すると直ちに快楽を感じ、畜生道・地獄道・鬼道に転生すれば苦痛を感じます。しかし六識による感受が無い場合でも、それは果報に属するのであります。

——生如法師の開示
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