夢の中の侍女は実在するのでしょうか。
原文:大王よ、諸根は幻の如く、境界は夢の如し。譬えば人が夢の中で、多くの侍女と共に楽しみを共にするが如し。大王よ、汝の意はいかがか。その人が夢から覚めた後、受けた楽しみを追憶するに、実在するか。王曰く、否なり。
釈:仏は説かれた。大王よ、六根は幻化されたものであり、六境の境界は夢中の如きものである。譬えば人が夢の中で多くの侍女と遊び楽しむが如く、大王よ、そなたの見解では、その人が夢から覚めた後、夢中で感じた楽しみは実在するか。浄飯王は答えた。実在しない。
眼耳鼻舌身意の六根は幻の如く、空無の中から幻化され、その機能も同様に実体なきもの。幻化の主は魔術師の如き如来蔵である。諸根が対する色声香味触法の境界を仏は夢に譬え、夢中の物の如く捉えどころがないと説かれる。夢中において意識はなお夢境を了別し、夢中の人や物に接触して喜怒哀楽を生じるが、覚醒すれば何も残らない。衆生が現実と称する生活も夢中の如く迷妄に満ち、六塵境界に接触し六識の感受があるかの如く思うが、実は皆幻影である。覚醒後は何も得られない。衆生は未だ夢から覚めず、菩薩は半覚半夢、諸仏は完全に覚醒し、凡夫は皆夢語りをしている。
原文:仏言わく、大王よ、この人の夢を執って実と為すは、智者と言えようか。王曰く、否なり世尊。何となれば、夢中の侍女は畢竟存在せず、ましてや共に楽しむことなどあるべからず。当に知るべし、この人が夢中の境を追憶するは徒労に終わり、再び得ることはない。
釈:仏は説かれた。大王よ、この人が自らの見た夢を実在と執着するのは智慧ある者か。浄飯王は答えた。智慧なき者です。何故なら夢中の侍女は畢竟実在せず、ましてや共に楽しむことなど更になき故です。この人が夢中の境を追憶するのは徒に識心を疲労させるのみで、夢境は再び得られないと知るべきです。
明らかに夢中では全てが存在したが、覚醒すれば何も残らない。覚めた後も夢中の事柄を真実と執着し続ける者は智者ではない。仏はこの譬えをもって父王に五欲の楽しみに執着せぬよう諭された。五欲の楽しみは夢中の如く執着すべからず、これに執着すれば妄りに生死輪廻の苦しみを受けることとなる。
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