衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年12月27日    日曜日     第3 回の開示 合計2944回の開示

父子合集経講話(七七)

大王。諸根は幻の如く、境界は夢の如し。譬えば人が夢の中で諸々の婇女と共に歓楽を楽しむが如し。大王。汝の意は如何。彼が夢から覚めた後、受けた楽しみを追憶する時、それは実在するか。王曰く「然らず」と。

釈:仏は説きたまう「大王、六根は全て幻化されたものであり、六境の世界は夢の中の如きものなり。譬えば人が夢の中で数多の婇女と戯れ楽しむが如し。大王の見解によれば、その者が夢から覚めた後、夢の中で感じた楽しみを思い起こす時、夢の中の境界は実在するか」浄飯王は「実在せぬ」と答えし。

眼耳鼻舌身意の六根は幻の如く、空無一物の中から幻化され、その功用も同様に実体なきものなり。この幻化の主は魔術師の如き如来蔵なり。諸根の対境たる色声香味触法は仏説く「夢の如し」と、夢中の物と等しく把捉すること叶わず。夢中において意識は尚夢境を了別し、夢中の人や物に接触し、喜楽哀怒の覚受を生ず。夢覚めれば一切存在せず、得る所なし。衆生の所謂現実における生活も、夢中の如く迷妄に満ち、六境に接触し得る如く、六識の感受ある如く見ゆれど、実は皆虚妄なり。夢覚めた後には了々として得る所なし。衆生は未だ夢より覚めず、菩薩は半ば覚めたるも完全ならず、諸仏は既に徹底して覚醒し、もはや夢中にあらず。衆生凡夫は皆夢中の言葉を語る。

原文:仏言たまう「大王。この人の夢を執って実と為すは、智者と言えるか」王曰く「然らず世尊よ。何となれば、夢中の婇女は畢竟して存在せず、ましてやこれと共に歓楽をなすことなど更になし。知るべし、この人が夢中の境を追憶するは徒らに識心を労するのみ、再び得る所なし」

釈:仏は説きたまう「大王、この者が自らの見た夢境を実在と執着するは智慧ある者か」浄飯王は「この者に智慧なし」と答えし。「何故かと言えば、夢中の婇女は畢竟実在せず、ましてや婇女と共に歓楽する事など更になし。知るべし、この者が夢中の境を追憶するは徒らに識心を疲労させるのみ、夢境は再び戻らず得る事叶わぬ」

明らかに夢中には全てありながら、覚めれば何もなし。覚めた後も尚夢中の人や事を真実と執着し続ける者は智慧ある者にあらず。仏はこの方法をもって父王に五欲の楽しみに貪着せぬよう警策せり。五欲の楽しみは夢中の事の如く、貪着すべからず。この貪着を以て生死輪廻の苦を妄りに受くべし。

——生如法師の開示
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