衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年01月04日    月曜日     第4 回の開示 合計2967回の開示

六識の造作の後、内外の相分はどちらが先に変化するのか

「煩悩即菩提」という説があります。煩悩とは一方で貪瞋痴や殺人放火などの悪法を指し、他方で飲食排泄などの日常的な瑣事を指します。菩提とは如来蔵を意味し、一切の法は如来蔵によって顕現され保持されています。外相分も同様であり、その生住異滅は全て如来蔵によって実現されます。内相分も当然ながら如来蔵によって顕現され保持されています。山河大地の一切の変化は第八識である如来蔵の所為であり、一切の法の生住異滅は全て第八識如来蔵の所為なのです。

六識が直接外相分を変えることは永遠にできません。六識には種子がなく、外相分と相応せず、また六識は後から生じる法であるため、まず内相分が存在しなければ六識は生じ得ないからです。如来蔵には四大種や六大種の種子があるため、一切の法は如来蔵が決定します。これらの問題を参究する方向性は既に明らかです。六識が接触できるのは内相分のみで外相分には触れられないのに、なぜ六識の行為が外相分の変化に関与できるのでしょうか。ここに大きな秘密があります。

私が机から本を手に取る時、手の身識が接触できるのは本の内相分のみです。手に取られるのは内相分の本ですが、外相分の本は机から消え、他人は見ることも取ることもできなくなります。内相分と外相分はどのように関連しているのでしょうか。先に存在するのは内相分か、それとも外相分か。もちろん外相分が先です。変化するのは外相分が先か、内相分が先か。もちろん外相分が先に変化します。内相分はどこから来るのか。第八識如来蔵が外相分に基づいて顕現したものです。故に一切の法の変化は必ず外相分が先に変化し、変化した外相分が浮塵根を通じて浄色根に伝達され、内相分が形成されるのです。

しかし私の手が外相分の本に触れられないなら、どうして先に外相分の本を変化させ、内相分の本の変化を引き起こせるのでしょうか。例えば六識が殺人の業を造作する時、六識が接触できるのは人の内相分のみです。ではどうやって人の外相分を滅ぼすのでしょう。しかも人の外相分が先に滅び壊れ、その後で内相分が滅び壊れるのです。内相分は外相分に由来し、外相分に依って顕現されるため、必ず外相分が先に変化し、その後内相分が追随して変化します。ここに大きな秘密がありますが、縁ある人が細心に参究すべきことであり、これ以上筆を重ねることは控えます。

——生如法師の開示
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