衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年01月04日    月曜日     第3 回の開示 合計2966回の開示

五戒を受ける場合と受けていない場合における悪業の報いの相違

すべての悪業は、悪心や煩悩心によるものであり、心性の悪しきに属します。故に性罪を有し、その果報は戒律を受けたか否かに拘わらず同様に現れます。衆生は貪瞋痴の性障煩悩を具えるが故に、六道輪廻にて報いを受け、特に三悪道の衆生が極めて多数を占めます。戒を受けていない者も、心性が戒律と相応せず法に違反する時、その心性における果報は戒を犯した者と同等となります。

例え五戒を受けていなくとも、人を殺せば依然として地獄に堕ちて悪報を受け、地獄を出た後もその相手と再会し命を償わねばなりません。畜生を殺す場合も同様に罪を有し、報いを受け命を償う必要があります。その他の戒律を犯す場合も、相応する悪報は必ず受けることになります。五戒を受けていなくとも、身口意の行いが五戒に順じ心性が善であれば、善報を受け福楽を得ます。また利益を与えた衆生も、相応する利益をもって報いるでしょう。

ただし受戒の有無において一点異なり、戒を受けた者が故意に破戒すれば、戒罪という追加の罪障が生じます。明知しながら犯す行為は戒律への不尊重そのものであり、故に罪を構成します。故意の犯行と無知による犯行では、煩悩の重さが異なり、前者の果報はより重くなるのです。

——生如法師の開示
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