衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
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書籍作品
二乗の解脱
《雑阿含経 第一卷 選講》
《五蘊を観じて我見を断ず(第一部)(第二版)》
《観行五蘊我見断ち(第二部)》
《四念処経講話 第二版(新修)》
《七覚支概説》
《阿含経十二因縁釈》
《四念処の観行体験》
禅定の法門
《禅定の修めと参禅証道(第一部)》
《禅定の修めと参禅による悟りの道(第二部)》
《座禅三昧経講義》
総説
《仏法雑談(第一部)》
《仏法雑談(第二部)》
《日常法話集録》
情報公開
生如法師
繁中
日語
色身の自己修復は第一能変識の機能作用である
意根の熏習成功と証果は必ず禅定の中にて必要なのでしょうか?
諸法には主なく作者もなし
独頭意識は外相分を変えることができるか
三果人が初禅定の果位を退失した場合、再び退失することはあるのでしょうか?
縁起法と非縁起法の違い
なぜ如来蔵は無我でありながら、第七識は有我なのか?
如来蔵の見は第六識と第七識の見とは異なります
阿羅漢の如来蔵は異熟識と呼べるでしょうか?
仏法を誹謗する者は解脱を得られない理由
意根に証自証分のある証拠
勝義諦と世俗諦の関係
一切法の平等無差別の義
意根には反観力証による自証分がある
なぜ座禅一須臾は恒河沙の七宝塔を造るに勝ると言われるのか
AIロボットに貪瞋痴はあるのでしょうか?
阿羅漢が涅槃に入ることは如来蔵に入ることと等しいでしょうか?
逆境にどう向き合うべきか
衆生と涅槃の関係
どのように福報を最も早く修増できますか?
神通の使用に関する原則
如来蔵は一切法の情報を顕現する
性空と空性の違い
精進して法を学ぶことは修行とみなされるでしょうか?
戒律を守ることは修行に当たるのでしょうか?
邪見がどれほど長く伝えられようとも、真理ではございません
福徳を積むことは修行といえるでしょうか?
経典を暗唱するのは意識によるものか、それとも意根によるものか
なぜ声聞は多聞を厭い、縁覚は思惟を厭うのか
真如が自性を守らざるは真如に自性無きに非ず
真如の二種の意味
如来蔵の真如性
如来蔵は我にあらず、また我ならざるにもあらず
如来蔵には無明も無く、無明尽きることも無し
如来蔵の不動性
如来蔵は出ず入らず
如来蔵は来もせず去りもせず
如来蔵の不生不滅性
法界不増不減の意味
なぜ諸法はすべて究竟であり清浄であるのか(二)
諸法はなぜみなきゅうきょうで清浄なのか(一)
如来蔵の円成実性
いかにして自らの思惟を正しく用いることができるか
諸法はなぜ因縁性でも自然性でもないのか
菩薩の心は空に住まず、五蘊を修めず
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