衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2023年06月28日    水曜日     第1 回の開示 合計3968回の開示

勝義諦と世俗諦の関係

万法は皆空であり、物もまた万法の中の法である。皆空であり、全ては空である。空でないものはない。例えば様々な種類の車も全て空である。空の車がこれほど多くの不思議な作用を持ち、手も空であるのにこれだけ多くの文字を打てるのは確かに奇妙である。ある者は如来蔵が車を走らせ、文字を打ったと言う。全ては如来蔵の妙用であるという。もし本当にそうなら、人類は一日中眠っていてもよく、如来蔵に文字を打たせ車を運転させ、全ての事業を行わせればよい。如来蔵に一日中、一年中、永劫に働かせ、人類が誕生する必要もない。もし世俗諦を消滅させ、完全に聖義諦で代替するならば、そのような過失は甚大である。世俗諦を離れては、勝義諦は完全に無力であり、何も為すことができない。どうしてこのようであり、あのようであることができようか。

我々が仏法を学ぶには、仏の説かれた法のままに実修しなければならない。仏は無上の智恵者であり、全ての法を実修し、証得して初めて真実となる。もし仏が「証果を得るにはこのように修めよ」と説かれたなら、我々は仏の教えに従い、必ずそのように修めるべきである。自らの発明創造をせず、いかなる個人の説を是とせず、仏陀に依止するのが最も確実である。仏陀は一切の無明を滅尽し、我執がなく、自我を顕わにせず、盲人が盲人を導くようなことはないからである。

真に仏道を成就しようとするなら、手抜きをせず、近道を求めてはならない。もし近道があるなら、仏陀は必ず我々に教え、回り道をさせず、ぐるぐると巡らせることはない。仏陀を完全に信じることは、仏法を学ぶ最も基本的な宗旨であり、信が先導となる。もし仏陀が信じられないなら、他に信じるべき人はいない。等覚・妙覚ですら信じられず、ましてや普通の一般人などなおさらである。もし仏陀の説と一致しない法を説く者がいれば、我々は躊躇なく仏陀を選び信じるべきである。

近道を求める者には、貪りの心理が存在する。求める心があるため、貪りが生じれば魔が入り込み、魔に利用され、魔の眷属となり、次第に仏道から離れ、解脱できなくなる。自己を高め、自己を変え、自己を充実させ、自己を成熟させ、自己を完成させる心構えで仏道修行に励むなら、魔事から遠ざかり、着実に進める。一見遅いように見えても、実は最も速い道である。急進すれば却って逆効果となり、願いとは反する結果を招く。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

一切法の平等無差別の義

次の記事 次の記事

意根に証自証分のある証拠

ページのトップへ戻る