衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2023年06月25日    日曜日     第1開示 合計3967開示

一切法の平等無差別の義

すべての法は二つの面において平等で差別がない。第一に、すべての法は生滅変化して常ならず、実体がなく、空であり、無我である。存在するその瞬間にすでに空であり、滅した後はさらに空である。第二に、すべての法は如来蔵の性質であり、その本性は平等で差別がなく、すべて如来蔵が七大種子によって生み出されたものであり、いずれも如来蔵の性質を体現している。例えるなら、純金で作られた金細工はすべて純金の性質を含んでいる。金細工には違いがあるが、本質には差別がなく、すべて純金であり、純金としての価値を持つ。純金は生滅せず変化しないが、金細工は壊れるものであり、壊れた後も変わらない純金である。 すべての法が平等不二であるというのは、理解によって得られるような平等ではなく、小乗の法の立場から理解される平等でもなく、大乗の法の観点から説かれる平等である。小乗の法もすべての法は空であると説き、空という意味においてすべての法は平等であるとするが、このような平等は真の意味での平等ではなく、究極ではない平等である。なぜなら小乗の法はすべて世俗の法相に立脚して、すべての法は生滅変化して常ならず空であるとし、生滅の現象は永遠に存在するものではなく、最終的にはすべて消滅し、消滅した後は何も残らない、結果から見ればすべて平等であるとする。しかし世俗の法相は世俗諦においては空ではなく、さまざまな相があり、これらの相には高低の区別、善悪美醜の区別、生と滅の区別、色相と心相の区別があり、区別がある以上、平等ではない。 大乗の法の平等はすべての法の本質から説くものであり、すべての法の本質は如来蔵の性質であり、すべて如来蔵の不生不滅の種子の属性である。如来蔵が七大種子を用いてすべての法の異なる世俗の法相を変現するが、実質はすべて如来蔵の属性であり、如来蔵全体の中の一部分であり、本質は依然として不生不滅で変化せず、本質もまた空であり、得られるものではない。すべての法がどのように変化しようとも、すべて如来蔵の七大種子の機能作用であり、七大種子は永遠に変わらず、不生不滅で変化しない。したがってすべての法は不生不滅で変化せず、ゆえにすべての法は平等不二である。如来蔵という観点から見れば、すべての法は平等であり、すべて如来蔵の性質と如来蔵の相である。如来蔵は一相で二相なく、すべての法は一相で二相がない。 唯識種智が生じた後にのみ、初めて現前に如実にすべての法の性質と属性を観察し、すべての法の実質を観察することができ、すべての法が如来蔵中の種子によって顕現されたものであることを知ることができる。種子は如来蔵の中では不生不滅であり、もともと存在するものであり、高低上下の区別がない。したがって種子によって形成された法もまた平等であり、高低上下の区別がなく、すべて平等で差別がない。しかし世俗の法の現象から見れば、すべての法には不平等性があり、相の上に現れた不平等であり、仏法において説かれる平等との二者は弁証法的に統一された関係にある。


——生如法師の開示
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意根には反観力証による自証分がある

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勝義諦と世俗諦の関係

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