真如の意味とは、法界の本来の姿、法界の真実の存在にして不変なる性質、法界の如実なる実在性、法界の本然性を指します。法界とは諸法の限界、諸法の境界、諸法の界定を意味します。諸法の実質は全て如来蔵に帰一し、悉く如来蔵の性質であります。
何故諸法は全て如来蔵の性質なのか。それは諸法が如来蔵より生じ変化したものであり、如来蔵が七大種子をもって円満に諸法を顕現したためで、諸法は全て七大種子の性質、即ち如来蔵の性質を具えるからです。如来蔵は業種に従って如実に諸法を顕現し、法界の規律と運行の軌則に背きません。如来蔵が諸法を運行する中で、心は諸法に動かされることなく、常に本来の心の清浄無垢性を保持し、元来の真実不変性を保ち、如如たる不動性を維持します。
諸法はそれぞれ世俗の法相を有するものの、実質は依然として如来蔵の相、即ち真如の相と真如の性であります。故に一切法を総称して一真法界と申します。諸法は表面上生滅変異を繰り返し、動いているように見えますが、実は全て動かず、増減せず、変異しません。世俗界が如何に騒ぎ動こうとも、法界は本然のまま、静寂に満ち、寂然として動きません。されば我々は何を騒ぎ、何を求め、何を執着する必要がありましょうか。心を平らかにし、縁に随って日を過ごし、また日を過ごすという念いさえ作らなければ、真如の性に合致し、寂静なる解脱を得るのであります。
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