衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年05月16日    火曜日     第1 回の開示 合計3939回の開示

『円覚経』原文:善男子。一切の障害は、即ち究竟覚なり。念を得るも念を失うも、解脱に非ざるは無し。法を成じ法を破るも、皆涅槃と名づく。智慧と愚痴は、共に般若と為す。菩薩と外道の成じる所の法は、同じく菩提なり。無明と真如は、異なる境界無し。諸々の戒定慧及び淫怒痴は、俱に梵行なり。

釈:善男子よ、一切の業力と障害、一切の煩悩は、即ち最も究極の覚性である。究竟覚とは如来蔵の自性覚を指す。何故かと言えば、一切の煩悩障礙は皆如来蔵より出生し保持されるものであり、如来蔵の円満成就によるもので、全て如来蔵性を具えている。如来蔵無くしてこれら一切の障害は存在し得ない。得念と失念の意味は、得んとする希望と失うことへの恐れ、つまり得失に心を悩ますことであるが、この二者に解脱に非ざるものはない。何故ならばこれらは皆如来蔵より出生し顕現したものであり、如来蔵の円満成就によるもので、如来蔵性を具えている。如来蔵無くして得念と失念という法相は存在しない故に、実在しない得念と失念こそが解脱なのである。

諸法を成就することと破壊することは、共に清浄なる涅槃である。何故ならこの二つの事柄は共に如来蔵より出生し摂持されるものであり、如来蔵の円満成就によるものである。故にこれら二つの事柄は涅槃の清浄行と清浄性であり、共に如来蔵性である。智慧と愚痴は共に般若である。二者は皆如来蔵より出生し顕現し、如来蔵の円満成就によるもので、共に如来蔵性を具えている。

菩薩が修行によって成就する善法・清浄法と、外道が修得する邪法・不善法は、同じく菩提である。二者は共に如来蔵より出生し摂持されるものであり、如来蔵の円満成就によるもので、共に如来蔵性を具えている。無明と真如の二者の境界に差異はない。共に如来蔵より顕現したものであり、無明即ち真如である。無明の境界に在りながら、無明の全体は真如性そのものである。一切の戒・定・慧という清浄行と、貪・瞋・痴の行いは、同じく梵行である。何故ならばこれらは皆清浄なる如来蔵より出生し摂持され、如来蔵の円満成就によるものであり、如来蔵の清浄なる涅槃性を具えているからである。

——生如法師の開示
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