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生如法師
欲如意足は、いずれの心に具わるか
六識論の成立と流行の原因
時間とは何法か
二諦円融による無碍通達
常住の生滅法
定業と不定業
仏法は世俗諦と真諦の両面から学ぶべきである
想蘊と行蘊の相互作用
肉身は極楽浄土に往生できるのか
意根の証自証分
意根の先天智は無量劫の熏習に由る
五蘊と六識はすべて意根の所依である
意根と業種の相応
境界環境は心に随って転ず
識心における有我性と無我性
意根と六識の受動了別
業種変造と世界執持による如来蔵
心が先に生ずるか法が先に生ずるか、心が先に滅びるか法が先に滅びるか(三)
「心が先に生ずるか法が先に生ずるか、心が先に滅ぶか法が先に滅ぶか(二)」
心が先に生ずるか法が先に生ずるか、心が先に滅するか法が先に滅するか(一)
五蘊の運行の背後に秘められた奥義
識縁名色・名色縁識の真実義
仏法の修証には多大な善根福德が必要です
楞伽経における世尊が説かれる十二因縁の法(二)
『楞伽経』における世尊の十二因縁の法に関するご説法(一)
「何故、狐疑は生ずるのか」
真実法と虚妄法を弁える仏道修学
自ら真理を観察し証明することこそ悟りです
十二因縁の順観と逆観
千手千眼観音
観行覚受の虚妄性
世間法と生死の苦は値するか
仏法、菩薩法、凡夫法
仏法修行は悪業を滅することができる
衆生は何を貪愛しているのか
縁起性空は仏法の中心と重点にあらず
受蘊への執着の過患
如来蔵の常住性と断滅性
縁起性空の真実義
証量の違い、見解の違い
仏法の縁起観は外道の縁起観と異なる
識の信解行証と意根の信解行証
修行の四つの次第
『いかにして楞厳大定を証得するか』
離如来蔵無因縁法
起始頁
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