衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年06月20日    水曜日     第2開示 合計658開示

どのように虚相を離れ、縁起の鎖を辿って如来蔵を捉えるか

一切の法の働きにおいては、第七識と如来蔵の和合した運行があり、両者は相互に依存し合い、どちらか一方が欠けることはありません。一つの法において如来蔵の働きだけがあって意根がないということは不可能であり、また一つの法において意根の働きだけがあって如来蔵の働きがないということも不可能です。それゆえ、意根を証得さえすれば、芋づる式に如来蔵を捉えることができ、それは難しいことではありません。第七識が命根を不要と決断したとき、如来蔵は絶対に命根を管理できず、衆生は必ず死に至ります。有情衆生と無情物の双方に如来蔵の執持作用がありますが、それはどのような有法であるかによります。無情物においては如来蔵と第七識が自ら単独で無情物を執持することはできず、すべての衆生の如来蔵が共同で執持しています。

実際、如来蔵を証得することは非常に容易です。いかなる法にも如来蔵の働きがあることを知り、あらゆる生命活動においては如来蔵が維持した結果であり、七つの識の運行はすべて如来蔵が護持した結果であり、色声香味触法の出現はすべて如来蔵が変現した結果であることを理解することです。いかなる法の出現も如来蔵の功績ではないものはなく、一切の事業は如来蔵によって成就されます。仮相を退けて認めなければ、如来蔵の機能作用を発見でき、それによって如来蔵を証得し、捉えることができるのです。

虚相の法とは何でしょうか。それは五陰の活動です。五陰の活動は衆生の両眼を厳密に覆い隠し、衆生が五陰の活動だけを見て、その背後にある如来蔵の機能性を見えなくさせています。五陰の活動をはっきりと観察し、その不実性と虚偽性を認め、枯れ枝や落ち葉のように五陰を退けることによって、初めて如来蔵という生ける花が現れるのです。

五陰の活動の虚妄性をどのように認め、我見を断つべきでしょうか。五陰の機能作用をすべて見つけ出し、概念を明確にし、内包を整理し、活動の法則を捉え、その経緯を思惟して虚妄性を証得すべきです。そうすれば五陰の活動をすべて退け、如来蔵の功用を浮かび上がらせることができ、風の存在を証得するのと同じように如来蔵を証得できるのです。

如来蔵は第七識の後ろで垂れ簾の後ろから采配を振るい、あたかも双芝居のように呼応し合い、完璧に調和しています。それゆえ、潜在意識の一部に如来蔵があると言われるのです。もし潜在意識と如来蔵の機能作用を分離できれば、ただちに如来蔵を証得できます。文字を打つことは、如来蔵、第七識、第六識、身識が共同で作用した結果であり、生滅法も不生滅法もあり、それらを明瞭に区別できることが智慧なのです。

一切の法において芋づる式に如来蔵にたどり着くには、まず蔓を見つけなければなりません。如来蔵は瓜の実のようなもので、瓜の実は蔓の節に実ります。蔓の節は五陰の中の十二処、すなわち六根六塵の処に相当し、ここが最も活発で、実に生き生きとして生気に満ちています。賊はここで猖獗を極め、君子はここで事を処し、まさに凡聖同居、龍蛇混雑の状態であり、一切の取引がここで行われます。この時こそ当人の眼力が問われ、君子と賊、凡と聖、龍と蛇を見分けられるかどうかです。もし火眼金睛の持ち主であれば、必ず賊を擒えると同時に君子を見分けられるでしょう。

——生如法師の開示
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