衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年06月19日    火曜日     第2開示 合計656開示

いかにして自性如来蔵を証得するか(上)

私たちが仏法を学び自性如来蔵を証得し、明心見性して真の菩薩となるためには、菩薩が修める法を修めなければなりません。菩薩は何を修めるのでしょうか?菩薩は六波羅蜜と四摂法を修めます。六波羅蜜とは布施波羅蜜・持戒波羅蜜・忍辱波羅蜜・精進波羅蜜・禅定波羅蜜・般若波羅蜜であり、菩薩の四摂法は布施・愛語・利行・同事です。菩薩としてまず布施波羅蜜を修める必要があります。布施は一方で衆生と善縁を結び、衆生に私たちを信じさせ、共に仏法を学び修行させることができ、そうして私たちが教化する弟子となります。これにより、縁ある衆生を導きながら絶えず菩薩道を歩み、将来私たちが成仏する時、これらの衆生が全て仏国土で精進して仏法を護持するようになります。ですから布施は非常に重要です。布施のもう一つの側面は、福徳を迅速に積むことであり、福徳が満ち足りて初めて道業が絶えず増進し、最終的に明心見性して仏門に入ることができるのです。

六波羅蜜の二つ目は持戒です。戒を持てば心が清浄になり、戒を犯さなければ悪業の果報を受けず、悪業による妨げや道業増進の障害もなく、生死輪廻の苦しみから逃れられます。戒によって心が清浄になって初めて禅定が現れ、禅定があって初めて観行し、参禅し、明心して如来蔵を証得できるのです。ですから持戒も非常に重要です。もし菩薩がまだ戒を持てないなら、その性障の煩悩がまだ重く、真の菩薩の基準からは程遠いことを示しています。真の菩薩となるためには必ず戒を持たねばならず、最初は厳しく自らを戒律で律し、次第に自覚的に戒を持ち守るようになり、最終的には「持つべき戒がない」境地に至ります。心が完全に清浄となり、戒を犯す心の働きがなくなり、全ての行為が自性清浄心に相応する時、主観的に戒を持つ必要はなくなり、常に身口意の行いが戒律にかなって矩を越えず、仏法に合致するのです。これが「持たざるを持つ」持戒の境地です。

六波羅蜜の三つ目は忍辱波羅蜜です。忍辱行を修めることも心を清浄にし、自らの性障を降伏させ、衆生と善縁を結び、悪縁を解消させます。たとえ衆生が多くの辱めるような境遇をもたらしても、もし耐え忍んで衆生に報いず、衆生に瞋恚を抱かなければ、衆生との怨みを解消でき、自らの性障煩悩も降伏させられ、真の菩薩の心性に相応します。忍辱のもう一つの側面は、未だ聞いたことのない法に対して忍を生じさせ、甚深の法に対して忍を生じさせ、未証の法に対して忍を生じさせることです。そうすることで智慧が向上し、道業が絶えず進歩し、速やかに甚深の法を証得できるようになります。

六波羅蜜の四つ目は精進波羅蜜です。菩薩として必ず仏法において精進修行し、懈怠してはならず、あらゆる面で精進しなければなりません。布施の実践において精進し、福徳を修め衆生と善縁を結ぶことに精進し、持戒においても精進し、忍辱においても精進し、禅定を修める上でも精進し、自らの般若智慧を修める面でも精進します。常にどこでも精進すれば、善法は急速に増長します。これが菩薩の第四の波羅蜜である精進波羅蜜の修行です。

——生如法師の開示
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諸悪は作すこと莫れ、衆善は奉行せよ、自ら其の意を浄めよ、これらは全て仏の教えなり。

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どのようにして徹底的な悟りを得ることができるでしょうか

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