衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年06月16日    土曜日     第2 回の開示 合計643回の開示

如来蔵はどのように業行を記録し業種を出力するか(五)

種子が保存されると、それは末那識の習気種子となり、末那識は相応する習気を帯びます。六識の種子が送り出されると、六識が現行します。六識が現行する際、一方では末那識の心行に従う必要があります。末那識は作主識であり、六識の身口意行を主導するからです。他方では新しい環境に遭遇し、環境に染まります。ちょうど水流が地域を通過する時、周囲の雑物を巻き込み混ざり合うように、水が染められるのと同じです。六識が遭遇する環境が異なれば、身口意の造作も異なり、六識が染まった後は逆に末那識を薫習します。

例えば元来染汚な心行を持っていた六識が、突然善縁に遇い仏法に接して修行を始める場合があります。仏法を学んだ後、因果を理解し、何を為すべきか否かを知ります。すると意識が理解した理を末那識に伝え、末那識にも理解させ薫習します。六識の仏道修行による身口意行は種子として如来蔵に保存され、末那識が薫習されればその心行も種子として如来蔵に保存されます。如来蔵が再び種子を送り出すと、種子が現行し身口意行は仏理に適ったものとなります。これにより末那識が浄化され、送り出される種子は清浄となり、末那識の心行が変化するのです。

この過程において、全ての身口意行に対し末那識が決定的役割を果たします。如来蔵が業種を保存する際も、末那識は決定的な役割を担い、如来蔵と六識を繋ぐ中継点となります。業種の保存と送出において、末那識は極めて重要な枢軸です。末那識は六塵に対する了別の慧が劣り、具体的な了別ができません。六識が刹那毎に了別した内容を末那識に伝えるため、末那識は六識の了別内容を了別します。その後末那識は思心所を生起し、如何なる造作を行うか決定します。この決定は末那識自身の習気慣性による場合も、六識の分析に基づく場合もあり一定しません。

末那識は習気に従順になる場合も、六識が新たに薫習した内容や新たに了別した情報、分析した道理に基づき選択する場合もあります。どちらが主導権を握るかは、自身の習気か六識の新たな道理か定かではありません。末那識が総合的に判断する場合も、自身の習気に従う場合も、六識の分析に従う場合もあります。末那識が思量して選択を下した後、如来蔵はその心行を了別し、六識を生起させます。末那識の思量内容と心行に従い、身口意行の造作が生じます。身口意行の造作如何は、末那識の思量選択が極めて重要です。

末那識が六識の了別情報を了別し終えた後、如何に思量し選択するか、どのような心行を起こすか、その心行が染汚か清浄かは、如来蔵が全て忠実に記録し心行の種子を保存します。如来蔵は末那識の全ての心行を、善悪を問わず如来蔵へ持ち帰り種子として保存します。末那識の心行とは、元来の習気と六識の了別内容が末那識に与える影響です。つまり六識の身口意造作も末那識を通じて如来蔵に保存されます。この身口意行において六識がどのような心行を示すか、如来蔵はそのまま記録保存します。末那識がどのような心行を示すかも同様に忠実に記録され、一切の漏れがありません。しかも刹那刹那に同時保存され、一瞬の過程も漏れなく保存されます。全て保存された後、全事象が業種として蓄積されるのです。

——生如法師の開示
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