具体的にさらに例えを挙げて、如来蔵が識の種子を出力し回収する全過程を説明します。ポンプを例にとると、ポンプが出力するのは循環水であり、如来蔵はポンプのようなものです。如来蔵が出力する識の種子は水滴のようなもので、ポンプは水を一滴一滴送り出し水流を形成します。この水流は如来蔵が種子を出力して形成する識の流れに相当します。ポンプが水を送り出した後、水が通過するルートは周囲の泥土、砂塵、草木、真珠などの物体をすべて持ち帰ります。水流が通過する場所は、その場所の不要物を持ち帰るのです。水が送り出されて戻ってくるのは、ポンプが循環水だからです。いわゆる循環水とは、水が出て行った後またポンプの中に戻り、再び送り出されるものです。
もしポンプの中に不要物があれば、ついでにそれらも一緒に送り出します。金剛砂なら金剛砂を、泥土なら泥土を、雑草なら雑草を送り出します。そして水流が通過するルートの途中で、またついでにいくつかの不要物をポンプの中に持ち帰ります。こうして水は送り出された元の水ではなく、不要物を伴ったものになります。これらの物品は、汚物かもしれず、清浄な宝物かもしれません。その中には泥土、塵砂、水草のようなものがあり、他の宝物、金剛砂や珠玉のようなものも伴っているかもしれません。水が通過するルートは六塵の境界に相当し、水流は衆生の身口意の行いに相当します。衆生の六識が通過したルートは、自らが六塵の境界に対して起こした造作の身口意行いをすべて持ち帰り、その中には染汚と清浄の業行があるのです。
では、このポンプに蓄えられているものは何でしょうか。蓄えられているのは水だけでなく、水がこのルートで持ち帰ったすべての不要物です。汚物であれ、清浄物であれ、金剛砂や珠玉であれ、石土や泥沙であれ、すべて持ち帰ります。持ち帰るものが多ければ多いほど、将来水とともに出力されるものも多くなります。ポンプの中に多く蓄えられ満たされると、送り出しやすくなり、伴うものが多ければ多いほど縁が熟しやすく、ポンプはこれらの不要物をより容易に送り出します。もし金剛砂を多く伴えば、この縁が成熟し、ポンプが水を出力する際に水は金剛砂を伴って送り出され、水流は宝物を伴うため非常に貴重なものとなります。
もし水流がルートで泥土や砂塵を多く伴い、ポンプに蓄えられると、ポンプが水を送り出す際には泥土、砂塵、石塊あるいは雑草などの不要物も一緒に送り出します。このような水は汚水と呼ばれ、識心の悪業に相当します。この過程を循環といいます。送り出された後、水流は再び戻ってきますが、戻る途中で持ち帰るものはまた異なるかもしれません。再び金剛砂を持ち帰るかもしれず、砂土を持ち帰るかもしれず、他のものを持ち帰るかもしれません。金剛砂を振り落とすかもしれず、泥土を振り落とすかもしれません。これはいずれとも限りません。
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