例えば萎れた花や枯れた葉が、花の中の美しく生き生きとした花弁を覆い隠しているように、その鮮やかさと芳香を現すためには、枯れた花を取り除き、朽ちた葉を落とさねばならない。そうしてこそ美しい花が眼前に躍り出る。同様に、五蘊の枯れた花葉は真如の自性を覆い隠しており、われわれも五蘊の障りを払い、七識の遮蔽を取り除くならば、真如の性は燦然と輝きを放つ。そのためには五蘊の虚妄さを悟り、七識の虚しさを悟り、これらの仮の法を真実と認めなければ、真我が次第に頭角を現し、心に躍り出て、ここに主人を識り、家路に就いて安坐し、天下泰平となる。仏法を学ぶには六・七識の体性を明らかに見極め、如来蔵の体性を明らかに見極めた上で、禅定を修め、定中に妄心の虚妄を観じ、真心の作用処を観ずれば、真如を証得することができるのである。
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