衆生无边誓願度
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二乗の解脱
《雑阿含経 第一卷 選講》
《五蘊を観じて我見を断ず(第一部)(第二版)》
《観行五蘊我見断ち(第二部)》
《四念処経講話 第二版(新修)》
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《阿含経十二因縁釈》
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《禅定の修めと参禅証道(第一部)》
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生如法師
繁中
日語
六識の現量了別(五)
『観行による我見断つの突破口を探る』
如何にして共時的傾向が生ずるか
六識の現量了別(四)
六識の現量了別(三)
六識の現量了別(二)
六識の現量における了別(一)
理解と解悟は本質的に異なる
根塵識の三者和合触の秘密
何故、衆生は神通自在できないのか
一切法即第八識の機能
衆生の見聞覚知性はいかにして生じるのか
識の念と意根の念
禅定において世の事の虚しさ無常を観ずる
夢中の覚受
なぜ一心は二用できないのか
意根の思量作用
調伏其の心の目標は意根を調伏することである
意根の作意と前六識の生起
山河大地はどのようにして生じたのか
意根の法は意識より深細なり
表義名言と顕境名言
異なる心識の知
識の生起過程と原理
意根懺悔文
無我を証得するとどうなるか
仏法の修学は心性と技術の両面に精進すべし
どのような「知」が「正知」となるのか
衆生の如来蔵における七大種子同一、業種相異なり
第六識と第七識の区別
いかにして心を清静にするか
汝の意は信ずべからず
無明と染汚を取り除いて初めて、第七識の心は大智慧性を具えることができる
識心の分別性と了知性
作意心所法の生じる縁
七識の無始の無明と染汚性
前七識放逸の現れ
意根の念
貪瞋痴三毒の毒害作用(三)
貪瞋痴三毒の害毒作用(二)
貪瞋癡三毒の害悪作用(一)
甚深なる唯識の悟りの法門
前五識は独影境の法塵を了別することができない
読誦と暗誦とは意識心を主とする心の作用である
識の生起と変容の縁
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