衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年03月25日    日曜日     第1 回の開示 合計249回の開示

応無所住而生其心の二つの意味

「応に住する所無くして心を生ず」には二つの意味がある。第一の根本的な意味は、私たちの真如自性第八識の本性が、一切の法に住することなく絶えず心を生じ続けることであり、この「心を生ず」とは、あらゆる現象を生み出し変化させる働きを指す。これが真如の本性の本質である。第二の意味は、私たちの妄心(七識心)も第八識に学び、第八識のように一切の法に住することなくあらゆる法において作用すべきであるということだ。五陰身が作用する際、世俗法と仏法において修行する時も、第八識のように一切の法に執着すべきではない。

私たちの妄心である五陰が第八識の本性のように「住する所無くして心を生ず」ようになるためには、大乗の真如本性である第八識の法を薫習し、第八識を証得しなければならない。その後、次第に第八識の清浄な本質を観察できるようになり、五陰は徐々に第八識に近づいていく。第八識のように一切の世俗法と出世間法を行じ、有為法を造作する際にも一切の法相に住することなく、あらゆる現象に執着せずに菩薩道を歩むことができるようになる。

一切の法相を真如自性第八識に帰するには、悟りを得る前にあらゆる面での薫習が必要である。証得する前は、あたかも第八識に安住し学んでいるかのような相似の状態に過ぎず、実際に証得していない限り、心は第八識の本性に依って世俗の有為法を造作することはできない。悟前は薫習の段階であり、悟後こそ第八識の作用を如実に現量で観察できるようになる。観察しながら同時に第八識に学び近づき、心の働きが徐々に転換され、最終的に「心に住する所無くして心を生ず」境地に至る。ここでいう「心を生ず」とは、七識心が生起するやいなや、三界の世間法を作用させることを指す。

本心である第八識もまた心を生じている。ここでいう「心を生ず」とは、第八識が絶えず三界の有為法を生み出すことを意味する。三界世間の一切の法は第八識によって生じたものであり、故に第八識の本性には心行が存在する。五遍行心所法こそが第八識の心行であり、第八識は五遍行心所法を用いて一切の世間法相を広く造作するが、しかも一切の世間法相に住することはない。これが「応に住する所無くして心を生ず」の意味である。ここには根本義と世俗義の二つの意義が含まれており、第八識の義理のみを説くと世俗の人には理解し難いため、両義を併せて説くことで完全な意味が示されるのである。

——生如法師の開示
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