衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
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日常法話

2018年03月18日    日曜日     第3開示 合計223開示

意根の遍縁体性

眠っている時に「ボン」という大きな音がすると、意根が六識を生起させ、人は目を覚まします。では、大きな音がない時には、六識は生起するのでしょうか?たとえば私たちが座禅を組んで定(じょう)を修している時、意識は一心に静まりたいと願い、音声を了別したくないと思っていても、意根の慣性作用は止めることができず、音声はやはり耳元で生起し、意識はやはりそれを知っていて、心を空にすることができません。覚醒状態にあり、しかも心が静かな時には、耳元のどんな微小な音でも聞き取ることができます。たとえば最も細かい心臓の鼓動の音、呼吸の音、蚊や虫の鳴く声、遠くでまもなく消えゆく音まで、意識はすべて知っています。

意根は一切の法を遍縁し、意根が縁しない法は一つもないからです。細かいもの、粗いもの、重大なもの、重大でないもの、いずれも意根は縁します。たとえ意識がこれらの法を欲せず、これらの法を嫌っても、意根はそれを現出させてしまい、意識にはそれを阻止するすべがありません。これが意根の遍縁性であり、意根の慣性習気の作用です。意根が一切の法を遍縁するのは、ある時は欲望があるためであり、ある時は願いや願力があるためであり、ある時は習気のためであり、またある時は境界があまりにも強大で、意根が誘惑に耐えられず、了別せざるを得なくなり、攀縁性が生じるのです。意根が法を縁した後、意識を現前させることで、六塵を弁別でき、境界相を見ることができるのです。

では、意根自身が境界相を見る機能作用は劣っているのでしょうか?実は劣っていません。どこかで天災人禍が起ころうとしている時、意識心は何も知りませんが、意根はそれを知っており、引っ越して災難を避けることを決めたり、あるいはうろたえ慌てる行為を表したりします。いずれも意根が何かが起ころうとしていることを知っていることを示しています。ある時、意根は何かが起ころうとしていることを知り、意識に知ってほしいと望むと、夢を見せて意識に夢の中で了別させたり、あるいは定の中で意識に了別させたりします。意根が利発かどうか、分かるでしょう?それ以前に、意識心はこれらの事を知っていたでしょうか?意根が警覚しなければ、意識はまったく知りません。

意根がこれらまもなく起こる事を知っているのは、すべて自分一人で如来蔵に依拠して知るのであって、六識には何の関わりもなく、意識は何も知らず、しかも意根が夢を通じて告げて初めて、意識はまもなく起こる事を知ることができるのです。座禅を組んでいる時、意根は過去世にまで戻ることができ、過去世の事柄を現出させて意識に知らせます。過去世で誰があなたにいくらの金を欠いていたか、数銭に至るまで、重要なものと重要でないものの山のような事柄を、すべて意識に了別させることができるのです。ここに意識心の参与があるでしょうか?ありません。すべて意根が単独で如来蔵に依拠して了知したものです。意根が単独で働く時は非常に利発であって、六識心に依拠する必要はないのです。

意根の法はあまりにも細かいので、私たちの心は非常に細かく、禅定が非常に優れ、智慧が非常に優れ、現観量が非常に優れていなければ、その細法を少しずつ掘り起こしていくことはできません。禅定と智慧が欠けていれば、粗い面で粗浅な観行 (vipaśyanā-caryā) ができるだけです。ある人の心は非常に粗く、粗い面での観行 (vipaśyanā-caryā) でさえ観行 (vipaśyanā-caryā) できないのですから、まして細法はなおさらです。

——生如法師の開示
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