衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月26日    月曜日     第1開示 合計255開示

意根の遍計所執性を滅却するは即ち仏道を成ず

生死は意根の遍計所執性によって生じる。そのうち、意根の人我執は分段生死を引き起こし、一期の生命から一期の生命への絶え間ない輪廻をもたらし、粗重かつ微細な生死の苦恼を伴う。意根の法我執は変易生死を引き起こし、微細で長久な生死の現象を永遠に尽きることができず、依然として微細な無明惑業苦を伴う。このようなわけで、意根が人我執を断除すれば分段生死を了却・断除することができ、それは四果の阿羅漢が五蘊十八界への執着を断ずることに相当する。意根が法我執を断除して初めて変易生死を滅除し、究竟して仏となることができる。

なぜそう言えるのか。一切の法は意根が執取し執着するものであり、執着すれば縛られ、執取すれば纏縛され、これによって無明が生死をもたらすからである。意根が五蘊の機能作用を我と執取し、十八界を我及び我所有と執取し、三界世間を執取して貪愛し捨てないため、五蘊に縛られ、十八界に縛られ、三界世間に縛られ、三界の苦から出離することができない。ただ意根に五蘊十八界への我見を断除させてこそ、五蘊十八界への執着を断除し、それによって三界世間への貪愛を断除し、縛着を解除し、暫時解脱を得ることができる。

意根の無明によって、法界の実相を知らず、如来蔵を証せず、如来蔵の種子の機能作用も知らないため、如来蔵が変現した一切の法を貪執してことごとく我及び我所有と見なし、執着して捨てない。それによって法縛が生じ、変易生死が除かれず、大解脱を得ることができない。ただ意根に事実の真相を徐々に認めさせ、一切の法が如来蔵の機能作用であり、すべて如来蔵に属するものであって、自分自身のものは微塵もないことを証得させてこそ、意根は断念し、法愛を断尽し、無明を滅尽し、すべての粘縛を解除し、究竟解脱して本来の面目を回復することができる。

したがって、仏法を学び修行するとは、意根の無明を破り尽くし、一切法無我を証得し、意根の貪執を解除し、意根の遍計所執性を改変し断尽することである。そうして初めて生死の枷鎖がすべて取り除かれ、生死自在、法自在となり、大法王となり、三界の尊となるのである。

——生如法師の開示
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