衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月25日    日曜日     第6開示 合計254開示

定慧等持こそ仏法実証の要諦

シャマタは止であり定でもあり、ヴィパッサナーは観であり慧でもある。定慧等持し、止観を相俟ってこそ大智慧が生まれる。これが菩薩の修行法である。止のみあって観がなければ、観のみあって止がなければ、いずれかに偏っては大智慧は生まれず、仏法を実証して正慧を得ることはできず、ただ解悟して知識を得るに過ぎない。これこそ仏の説く戒定慧の三無漏学の後二者であり、菩薩六波羅蜜のうちの二つである。

もし長年にわたり坐禅して定を修めながら、心を起こして仏法を参究しなければ、永遠に証悟を得ず解脱することはない。もし知識の吸収に偏り、広く学び多く聞きながら禅定を修めず、心が散乱し浮ついて深く禅観に入らなければ、やはり永遠に仏法を実証できず、せいぜい解悟して知識を得る程度で、心は解脱せず三結を断つことはない。知識は決して証量に代わるものではないが、門外漢は見分けがつかず、知識学問を崇拝する未開眼の者が多いのである。

——生如法師の開示
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意根の遍計所執性を滅却するは即ち仏道を成ず

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