衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月26日    月曜日     第2開示 合計256開示

悟らぬとも解悟すな

参禅と観行の段階では、意識だけでなく、最も重要なのは意根を用いることである。工夫が意根に至っていないものは、すべて情思意解に過ぎず、たとえ理解したとしてもそれは意識の理解、すなわち解悟である。定力がない状態で悟ったものは、百パーセント解悟に違いない。したがって定力がない、あるいは定力が不十分な時は、決して参究してはならない。まして悟りに入ろうなどと企ててはならない。こうした状況での悟りは解悟であり、悟らないほうがましである。一生涯生死の境に挟まれ、上にも昇れず下にも落ちず、道業がまったく進まなくなる。そればかりか慢心を増長し悪業を造り、将来になって後悔しても遅すぎる。皆様、どうか肝に銘じてほしい。悟らないほうがましであって、解悟になってはならない。生煮えの飯は非常に食べにくく、たとえ再び火にかけてもなかなか煮えないのである。

今後仏法に遇う際には、解悟の方法か証悟の方法かを必ず見分けることを学ばねばならない。特に修定を用いない方法は解悟の方法であるから、必ず避けるべきである。

定力が不十分で人に導かれたり啓発されたりするのは、因縁が具足していない証拠であり、一般的に言ってすべて解悟である。

——生如法師の開示
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意根の遍計所執性を滅却するは即ち仏道を成ず

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参究工夫の奥義

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