衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年03月21日    水曜日     第2開示 合計236開示

解悟のどこが悪いのか

問:なぜ仏教を学び修行する際に解悟だけに留まると、真の仏法は次第に消滅してしまうと言われるのでしょうか?ほとんどの私たちは解悟の端にも触れられないのに、解悟するだけでも十分ではないのですか?

答:例えて言うなら、皆が車の運転技術を学ぶために同じ本を購入するか、直接誰かから運転技術の講義を受けたとします。全員が理解した気になり、自分は運転できると思い込むのです。しかし実際には一度も自ら車を運転したことがなく、ハンドルに触れたことすらないのです。

その後、これらの人々が本を執筆し、他人に運転技術を教えるようになります。そうなると、運転技術は後世に伝わるうちにどうなってしまうでしょうか?この技術に実際の運用価値はまだ残っているでしょうか?そして将来、車を運転する人は存在するのでしょうか?運転できる人はまだいるのでしょうか?このようにして、運転技術は失伝し、机上の空論の遊びとなってしまうのではないでしょうか?

仏法もこれと同じです。解悟だけに終始し実証が伴わなければ、伝えるほどに解悟する者すら存在せず、解悟された仏法さえ形を変え、真の仏法は失伝してしまいます。これは仏陀がもっとも耐えられない光景であり、真の仏弟子もまた深く心を痛めることでしょう。

——生如法師の開示
前へ前へ

夢内外にて心痛を催させるは何れの識ぞ

次へ 次へ

意根不可思議の慧

ページトップへ戻る