如来蔵は形も相もなく、虚空に遍満することはできない。形ある相のある法こそが遍満するか否かの問題を論じることができる。如来蔵はただ衆生と仏の五蘊十八界に遍在する。五蘊十八界は三界内の一切の法を含み、三界の外は如来蔵である。すなわち如来蔵はあらゆるものを包含し遍在し、法あるところ必ず如来蔵がある。
では諸仏菩薩は三界世間に存在するのか。この問題は極めて明らかである。三界世間の外には五蘊なく、十八界なく、一切の法なく、ただ如来蔵のみが三界外の法に属する。諸仏菩薩はすべて五蘊十八界を具え、永遠に五蘊十八界を滅尽することはない。ただ定性阿羅漢が命終する時に至って初めて五蘊十八界を滅尽し、三界内に存在せず、縁覚仏辟支仏たちが無余涅槃に入る時に至って初めて五蘊十八界を滅尽し、三界内に存在しない。しかし五蘊十八界がなければ、阿羅漢や辟支仏縁覚仏の存在もなく、ただ彼らの如来蔵が寂静に存在しているのである。
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