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生如法師
大乗顕識経(四八)
大乗顕識経(四七)
想像と推理は実証に等しくありません
大乗顕識経(四一)
どのようにして五蘊十八界が無我であることを正観するのでしょうか
如来蔵の鏡に映る像も色法です
大乗顕識経(三八)
廬山の真の姿を知らず、只此の中に身を置くにあり。ここにはどのような意味が込められているのでしょうか。
種子と心所法の関係
小乗の苦・空・無常・無我と大乗の常・楽・我・浄の対応関係
意根の智慧こそ一個人の真の知恵である
第八識は我なりと雖も我性無く、第六七識は我に非ずと雖も我性有り
理論を熟知することは実証を有するとは限らない
三種の阿羅漢
二果と三果の特徴
須陀洹人はいかなる貪欲を断じたのか?
執着を捨てず、仏制定にあらざる戒を守る者は生死を解脱することはできません
楞伽経に説かれる断疑
楞伽経に説かれる倶生身見を断ずる方法
楞伽経に説かれる身見
三種の須陀洹
習気に種子は存在するのか
意根はなぜ思念し、想うのか
意識の証果と明心はただの化城に過ぎません
因果の法則
大乗顕識経(五)
「大乗広百論釈論」巻二
小乗の聖弟子の観行は第八識に及びえない
五蘊・苦空・無常・無我の観行(二)
五蘊における苦・空・無常・無我の観行(一)
無余涅槃は三昧境界に属しません
無明もなく、無明の尽きることもなし
私の見る所も我見も異ならず、断じ除くべきです
妄我と真我の論理関係
父子合集経選講(一四二)
賊を父とする唯識的解釈
それぞれの人の智慧が異なるゆえに、必要とする実証条件も異なります
臨終の受生、その行く先はどのようにして決まるのか
二種の無我法の内包
妄我と真我は同等ではない
意根を滅するものは存在しません
二種の無我性を区別する
受は我なり、異我の真実義
父子合集経講義(一三五)
父子合集経選講(一三七)
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