全ての我見の中には我執があり、心の中で葛藤し解き放てないもの、断ち切れないもの、見抜けないものは、すべて我執である。我見とは、私が色を見、声を聞き、香を嗅ぎ、味を味わうことができると考えること、あるいは見色聞声嗅香嘗味の機能作用が私の所有だと考えることである。思考分析判断できる私がいる、感じ取れる私がいる、歩行坐臥できる私がいると考えること、あるいはこれらの機能作用がすべて私の所有だと考えることである。同時に色身を私自身と見なし、あるいは色身の機能作用を私の所有と見なす。これらはすべて生死の根であり、断つべきものである。その中で私が考える「私」は第七識の意根であり、色を見、声を聞き、香を嗅ぎ、味を味わい、思考分析判断できる「私」は六識である。意根が六識の機能作用を私自身および私の所有と見なす、この我見こそ断除すべきものである。
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