衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月13日    火曜日     第2 回の開示 合計1816回の開示

煩悩を断じた後も、なおも煩悩の習気が現前する

もし大迦葉が音楽を聞いて踊るのは任運而生じるなら、全ての衆生は音楽を聞いて踊り、音楽を聞かなくても踊る。実際は音楽を聞いて踊るのは普遍的な現象ではなく、個人によって異なる。故に踊りは任運而生じるではなく、歌舞を愛好する煩惱習気のある者だけ現れる現象。前世歌舞を愛好した者の習気は根深く固まり、音楽を聞くと慣性的に踊り、意識が制御できない。

習気は慣性とも呼ばれる。例え車のブレーキ、車は止まった後も少し前進する。また氷上を歩く時、足底が滑り、歩みを止めた後も少し滑る。制御できない。これは現行煩惱を断ったが習気はまだ現前し、止められず、不自覚に現れる。車速越快、ブレーキ後の慣性力越大、煩惱越重、習気越大。

大迦葉阿羅漢は煩惱を断除したが、煩惱習気は未断除。前世歌舞愛好の煩惱習気があり、今世音楽聞くと不自覚に踊る。煩惱未断除の凡夫、歌舞愛好の煩惱あるなら、音楽聞き時、煩惱と習気更重。貪愛音楽と踊りの重い者死后は鬼道で報を受ける。習気現行のみ、三悪道へ報受けない。

——生如法師の開示
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