一切の法は如来蔵の空性であり、実質は如来蔵性であって、一切の法は存在しない。しかしながら一切の法の虚妄なる現象は依然として存在しており、知覚されることができ、また虚妄の作用もある。例えば五蘊の色身は虚妄であり、空であり、仮のものであるが、それでもなお色身の虚妄なる機能作用が存在し、互いに見ることができる。時間と空間も同様に、虚妄であり、空であり、仮のものであるが、その虚妄なる作用があり、知覚されることができる。それゆえに時間の関係によって、物質の色法には前後異なる次第が生じ、物質の色法も空間の中に存在し収蔵されるのである。
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