念頭そのものは識心の作用であり、心所法であります。念頭を発見することは、識心が心所法を発見すること、これがすなわち反観であります。聡明な人は皆反観に慣れるべきであり、これが反観であることを自覚せずともよいのです。反観に慣れた人には自制力が備わり、自らを省み、自らを督励し、自らを管理し、自ら成長することができ、全てが自然に覚醒した状態で行われます。人の監視や督導を必要とせず、このような人は指導者に適しており、少なくとも人に指導される必要はありません。
仏法を学び修行する者は、覚った人であるべきであり、常に自らを反観し、内心を照らし返し、日々三たび我が身を省みるべきです。そうして初めて次第に過ちを改め新たになり、煩悩を降伏させることができるのです。
このようにすれば、自らの心に仏念が多いか雑念が多いかは明らかであり、反観に労力を要さず、鍵は習慣にあります。良き習慣を養えば、理に適い自然の流れとなるでしょう。
もし自らを反観する習慣がなければ、身口意の行いが法にかなわぬ面を発見できず、自らを修正し、改め、向上させることは叶わないのです。
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