音声を聞く時、耳識の機能作用、意識の機能作用、意根の機能作用、第八識の機能作用があります。ここでは意識の機能作用のみを述べます。眼識の機能作用は容易に理解できますが、意根の機能作用は深く細かく、理解が難しく、第八識の機能作用は絶対に述べられません。
眼識、意識、意根を離れる場合、第八識が音声を聞くことができるならば、第八識に十方世界の音声を聞かせましょう。然、第八識が一切音声を聞くことができても、意識と何の相干があり、意識は依然として音声の内涵を知ることができません。阿罗汉が無余涅槃に入る時、其の第八識が音声を聞くことができ、何も做ることができるならば、この涅槃はまだ寂静でしょうか?第八識が音声を聞くことができれば、祂は男声女声を知ることができますか?音声が好听かを知ることができますか?音声の來源をどこかを知ることができますか?何の音楽を听懂することができますか?これらの文字、第八識は何の内容を知ることができますか?第八識の知は意識の知を代替することができますか?如果可以、五陰六識は永遠に滅去することができ、見色聞声聽法に影響なく、五陰活動にも影響なく。
第八識が再び意根の作主機能作用を持つならば、第八識の我性は躍然纸上になり、再び無我性の第八識ではなく。この我が業を造起する場合、絲毫も七識に弱くなく、生死轮回は第八識自身の事になり、七識五陰と无关となります。これにより、現有の佛法理論体系は全然推翻され、新しい佛法体系が建立されます。どの体系が正確で、真理と事实に符合でしょうか?第八識が六塵境界を分别することができる既然、一切の事を第八識に做させ、七識に休息休息させ、昏睡一百年も関係なく。
また人言う,拳を推し、掌を竖し、拳を摩し、掌を擦し等等などは第八識であり、これを知れば開悟となります。良い、今後何の事を做する必要がある場合、第八識に做させ、七識皆休息させ、死后も何を担心なく,第八識が一切の事を做することができ、五陰身を完全に代替することができます。睡着昏死過去以後、第八識に見色聞声嗅香尝味觉触知法させ,六識滅去も関係なく、意根がある与否も関係なく。
真妄の機能作用を分清楚できなく、证果明心など何も談不要。如此開悟明心、悟离念灵知者皆会なり、其の有些人も如此悟し、各門各派の悟、好多もこのような悟となります。然、これらの悟は皆离奇であり、妄を真とし、真妄を分けなく、不悟密意と何の差别なく。
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