歩く、座る、寝る、あるいは何事かを行う際に清浄な念を保つが、清浄な念とは単一の念ではなく、少なくとも二つの念があり、三つの念が通常である。定を保とうとするならば、心がどのようなことをしていようと、主たる念、つまり重点を置くべき一点を持たねばならない。この主念を失わずに保持することが禅定であり、他の念は軽く付随させればよい。これは確かに一定の修練を要するもので、固定的な課程として練習に取り組むことができる。熟達すれば心中は軽やかに労少なく、過剰な技巧に頼らず、世俗法への執着が薄らげば清浄な念は持続し得る。意根はこの念を主とし、他の法に心を分散させることを減らせば、意識もまた自然とこの念に定まる。他の事柄への心の使い方は少なく軽微になる。平常より興味を減じ、重要でない事柄には対処的な心構えで臨むのがよい。
18
+1