衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年08月06日    火曜日     第1 回の開示 合計1777回の開示

意根の伶俐さ

蚊が突然顔に止まり、無意識のうちに顔を打ちつけた後、初めて蚊が顔に止まっていたこと、自分が蚊を叩いていたことに気付きます。自分で知らないことを、どうして行うことができたのでしょうか。誰が行ったのでしょうか。

蚊が顔に止まるのは非常に軽く、通常の意識では感知できません。しかし感知できなくても無意識に蚊を叩くのは、もちろん完全に意根が指示したものです。これによって、いかに微小な六塵の境であっても、意根がまず了別できることが分かります。自身の安危に関わる塵境に対しては直ちに決断処理し、六識が自身の危急を処理する事態を生じさせます。このように意根は意識の了別判断を借りずとも、重大と細かな塵境を分別し、五陰身に益あるものと害あるものを判別し、迅速に行動を起こすことができ、その智慧も決して低くはありません。意根が境界を了別する際は意識を用いなくても可能ですが、境界を処理する際には必ず意識を必要とし、意根単独では何事も処理できず、必ず意識の協力が必要です。故に多くの場合、意識あるいは六識の身口意行は、正に意根の思想と徳行修養を体現し、意根の心行を表しているのです。

意識と身識が蚊に刺された処理として、時には叩き、時には痒みを掻き、時には撫で、時には爪で引っ掻くなど、様々な動作が異なります。なぜ異なる動作を選択するのでしょうか。これら全ては意根が主導して指揮し作り出したものです。意根は触塵に対して判断力と抉択力を有し、様々な状況の触塵を理解できるため、状況が異なれば抉択も異なり、意識と身識の造作も異なるのです。

——生如法師の開示
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