衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月08日    木曜日     第2 回の開示 合計1789回の開示

意根が知る法意識は必ずしも知られていない

問:時々歩いている時、後ろに人が付いて来ているのが見えないのに、後ろに人がいることを知ることがありますが、これはどのようにして知るのでしょうか?背後にいる人や物は、後頭部の中の内相分でしょうか?色塵が眼根を通さずに後頭部の勝義根に入ることは可能でしょうか?

答:背後にいる人物は眼根を通して後頭部の勝義根に伝わることはありません。眼根は後方を向いていないからです。首楞厳経で仏が説かれたように、眼根は千二百の功徳の中で八百の功徳しか持たず、眼根が正面の色塵に触れ、左右それぞれ三分の二まで触れることができ、それ以外は触れられないことを意味します。したがって、背後に人が付いていることを知るこの「知」は、独頭意識が知る独影境の法塵であって、色塵を知るものではありません。この独影境の法塵は意根が接触し了知するもので、意根がこれを重要と認めると、意識に警覚させて知らせるのです。極めて多くの法を意根は知っていますが、表現することができず、意識は意根の知ることを知る手段がないため、意識は知りません。ある人が「私は知らない」と言っても、実際には意根は知っているのです。

くしゃみは突然起こるもので、意識に心理的準備がありません。これは意根が発動させるものです。鬼が来ても意識は知りませんが、身体が身震いするのは意根が引き起こすものです。重大なことが起こる前兆に、意識は何事か分かりませんが、理由もなく喜びを感じたり不安を覚えたりするのは、意根が発動し暗示を与えるからです。

——生如法師の開示
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