衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年08月07日    水曜日     第2 回の開示 合計1785回の開示

出家者の威儀

二乗の行者は、すでに道を見た行者と、未だ道を見ない行者に分けられます。すでに道を見た行者は、五陰十八界の生滅変異に実体性がなく、我の主宰性がないことを証得し、無我三昧を得て四相を破り、我相・人相・衆生相・寿者相を離れ、法眼浄を獲得しました。そのため、心中において四相に対する空観と不実感が生じ、人我四相に関する有為法が次第に減少します。道共戒の故に、内心の貪欲は自然に軽減され、人我の是非も薄れ、煩悩を降伏することができます。初禅定を修得した後、煩悩が断除され貪欲と瞋恚の煩悩が滅尽すると、異性と接触しても愛欲心が生じず、心は自在無礙となります。ただし出家の戒律を有するため、衆生に模範を示し、誤解を招かぬよう、三四果人は言行挙動において戒律を遵守し規範に適いながら、内心は束縛を受けません。

出家者は衆生の依止となる存在であり、外見において威儀を整える必要があります。衆生がこれを見て初めて三宝への恭敬心を生じ、善根を植えることができます。仏在世時に世尊が僧団を建立されたのは、一に衆生が俗塵を離れて解脱を得るため、二に衆生の依止となり三宝に帰依する種を蒔くためです。出家者は道を見たか否かを問わず、自ら範を示し戒律を模範的に遵守し、言行を規範に従わせ、威儀を具えます。托鉢時に接する衆生が多いほど、いよいよ威儀を整え、衆生の嘲笑を招いて悪業悪果を造らぬよう注意します。故に托鉢の際は道を歩む時、目を下ろして前方を見据え、左右を顧みず斜視せず、人々を直視せず、施主に出会っても男女・美醜を弁別せず、鉢飯を受け取れば速やかに去り、挨拶言葉も交わしません。行者たちは生死を解脱すること一心に願い、六塵の境界にも世俗にも心を留めず、かくして証道を成就し、世俗の五欲六塵に束縛されぬことを保つのです。

——生如法師の開示
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