衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月08日    木曜日     第4 回の開示 合計1791回の開示

法に依り人に依らず、どうあるべきか

法に依るとは、仏法本来の真实相に純粋に依り信受することで、如实に法の正邪を判断し、正しければ依止して修学し、邪しければ绕开して学ばず、且つ辗转して同修学侣に相告することを指す。法の正邪を判断できるならば、人名の著名与否を特別に关注せず、人如何にも関わらず、法义のみ关注すべき。法义が正真なら、作者が波旬と标注されても理会せず、法义に邪见居多なら、释迦仏の名と标注されても感兴趣せず。

真に法に依り人に依らず无上法を修学したい者にとって、我々が佛経に波旬の名を标し、波旬の著作と称し、波旬の講法に佛陀の名を标し、佛経として扱う場合、如何に内容を判断する?如何にこの二種法义を扱う?我々が全ての文字文章の著作者の名を全て打乱し或无名氏标しならば、如何にこれらの文字内容を应对する?

——生如法師の開示
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