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生如法師
瑜伽師地論 第三十四巻(六十)
瑜伽師地論 第三十四巻(59)
意識は如何にして意根を導くべきか
瑜伽師地論 第三十四巻(五十八)
瑜伽師地論 第三十四巻(五十七)
意根と意識はなぜ互いに心意を通じ合わせることができるのでしょうか
瑜伽師地論第三十四巻(五十六)
瑜伽師地論第三十四巻(五十五)
意根にとって意識は何の役に立つのか
瑜伽師地論第三十四巻(五十四)
瑜伽師地論 第三十四巻(五十三)
意根と六識の身口意行の関係
『瑜伽師地論』第四十三巻三十四(五十二)
瑜伽師地論第三十四巻(五十一)
身口意の行いは意識によるものか、それとも意根によるものか
瑜伽師地論 第三十四巻(五十)
瑜伽師地論第三十四巻(四十九)
修行とは心の地を清めることです
瑜伽師地論 第三十四巻(四十八)
瑜伽師地論第三十四巻(四十七)
汚れた意根はなぜ汚れた前六識しか生じないのか
瑜伽師地論 第三十四巻(四十六)
瑜伽師地論 第三十四巻(四十五)
意根と意識の四つの関係
瑜伽師地論 第三十四巻(四十四)
瑜伽師地論 第三十四巻(四十三)
意根は意識の俱有依です
瑜伽師地論第三十四巻(四十二)
瑜伽師地論第三十四巻(四十一)
意根と五蘊との関係
瑜伽師地論 第三十四巻(四十)
瑜伽師地論第三十四巻(三十九)
瑜伽師地論 第三十四巻(三十八)
瑜伽師地論第三十四巻(三十七)
意根が第八識の見分を我として執着するとはどういう意味ですか
瑜伽師地論第三十四巻(三十六)
瑜伽師地論第三十四巻(三十五)
意根が内に阿頼耶識を我として執着するとはどういう意味ですか
瑜伽師地論第三十四巻(三十四)
瑜伽師地論第三十四巻(三十三)
意根の平等性智
触とは
瑜伽師地論 第三十四巻(三十二)
瑜伽師地論 第三十四巻(三十一)
瑜伽師地論 第三十四巻(三十)
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