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生如法師
まず意根の習慣を改め、修定の正軌を歩みましょう
修定の原理
煩悩を断たず解脱を求めないことは大乗菩薩の修行でしょうか?
修行の証は心所の転換である
七識の心所法は固定的ではありません
前五識の心所法
金剛経唯識深義(八十五)
楞厳経第四巻原文
金剛経唯識深義(八十二)
衆生の第六識心所法はそれぞれ異なります
金剛経唯識深義(八十一)
身心に変化がなければ、修行が道に入っていない証拠です
修行の退転と不退転は意根にあり
真の参禅修行とはどのような状態でしょうか?
金剛経唯識深義(八十)
悔の心所法
「尋」とは何でしょうか?「伺」とは何でしょうか?
修行の過程における意根と心所法の変容
意根は重大かつ変動する法塵のみを縁とするのでしょうか?
金剛経唯識深義(七十九)
自証分と証自証分について
参禅における尋伺の修行
尋と伺の違いとは
第七識の心所法
第八識の念心所の法
第七識意根にははたして善心所法があるのでしょうか
外法塵は本当に存在するのでしょうか
第八識の勝解心所法
金剛経における唯識の深義(七十一)
第八識における五遍行心所法はどのように作用するのでしょうか
十一善心所法(二)
善十一心所法(一)
金剛経唯識深義(六十八)
物質には本当に重さがあるのでしょうか?
五別境心所法
五遍行心所法は三界九地に遍く
金剛経唯識深義(六十二)
金剛経唯識深義(六十一)
八識に相応する心所法
意根と意識は一法のみに縁することができるか?
金剛経唯識深義(五十八)
意根択びの原理と過程
金剛経唯識深義(五十五)
意根は変動し変化する法塵のみを了別するのでしょうか?
金剛経唯識深義(五十三)
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