衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成
トップページ
日常法話
清浄法音
書籍作品
二乗の解脱
《雑阿含経 第一卷 選講》
《五蘊を観じて我見を断ず(第一部)(第二版)》
《観行五蘊我見断ち(第二部)》
《四念処経講話 第二版(新修)》
《七覚支概説》
《阿含経十二因縁釈》
禅定の法門
《禅定の修めと参禅証道(第一部)》
《禅定の修めと参禅による悟りの道(第二部)》
《座禅三昧経講義》
総説
《仏法雑談(第一部)》
《仏法雑談(第二部)》
《日常法話集録》
情報公開
生如法師
繁中
日語
意識が聡明で利口なことは、かえって事を誤らせる
不増不減とは何が不増不減なのか?
意根はなぜ意識を批判することが決してないのか?
実証を確保する方法(解ではなく)
断我見できなければ明心できない
意根と意識の疑と抉択における区別
意根とは何か、衆生とはその何かである
邪定とは何か?正定とは何か?どのように邪定を正定に転換するのか?
三能変識
断我見(satkāya-dṛṣṭi-prahāṇa)とは意根の我見(satkāya-dṛṣṭi)を断つことです
大乗顕識経(六五)
生公が法を説けば頑石も頭を垂れる
増戒、増上縁と増語
意識のない時の意根の特殊な作用
意根と意識の関係は、眼睛と眼鏡の関係の如し
意識の推理と推測は解脱とは相関しない
小乗断我見観行の重心
阿羅漢の進階
『雑阿含経』巻八
大乗顕識経(五八)
雑阿含経選講
学仏人は禅定を善く用いるべきである
仏家三昧(samādhi)の種類
雑阿含経巻一(四)
学戒とは何か
大乗顕識経(五二)
真理を証悟する条件
推理によって得られた結果は現量として扱うことはできない
如何に用功すれば証悟できるか
色身は第八識に非ずして第八識と異ならざるものか
大乗顕識経(四八)
大乗顕識経(四七)
想像と推理は実証に等しくない
大乗顕識経(四一)
五蘊十八界を正観して非我とするには如何にすべきか
如来蔵の鏡の中の像もまた色法である
大乗顕識経(三八)
廬山の真の面目を識らず、只だ身のこの山の中に在るに縁るのみ。ここにはどんな意味があるのでしょうか?
種子と心所法の関係
小乗の苦・空・無常・無我と大乗の常・楽・我・浄との対応関係
意根の智慧こそが真に一人の人間の智慧を代表する
第八識は我なりといえども我性なく、六・七識は我に非ざるといえども我性あり
理論を心に爛熟させることは実証を持つのと同じではない
三種阿羅漢
二三果人の特徴
検索:
<<
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
>>